この記事の連載

1964年のオリンピックで区画整理に

 そして、1949年、松本さんは松本家の長男として生まれ、弟・妹とともに中学生になるまでそこで育つ。しかし、1964年の東京オリンピックに向けて区画整理が行われることになり、立ち退きを余儀なくされてしまう。

「で、霞町へ、いまの西麻布へ引っ越すことになったわけ。そして、土地の半分は『外苑西通り』になり、残り半分はマンションの一部になった。だから、ぼくの幼少期を証明する手がかりは一切残されていないんだ。跡地に建ったマンションさえもこうして壊されてしまうんだから」

ぼくらが電車通りを 駆け抜けると
巻きおこるたつまきで
街はぐらぐら
おしゃれな風は花びらひらひら
陽炎の街 まるで花ばたけ

紙芝居屋が店を たたんだあとの
狭い路地裏はヒーローでいっぱい
土埃の風の子たちにゃあ
七つの海も まるで箱庭さ

「花いちもんめ」はっぴいえんど
(作詞:松本隆 作曲:鈴木茂)

 念のため、大通りから一本入った裏通りを散策してみる。見覚えのあるものはないかと訊くと、松本さんは頭を横に振った。

「青山教会の場所が移動したってことぐらいかな。変わらずにあるのは墓地と、墓地周辺の道。昔は駄菓子屋もあったしおもちゃ屋もあったし、路地裏には紙芝居屋もいた。それから、梅窓院では縁日をよくやっていて。青山って元は門前町だったんだ。青山墓地があるから、お寺もたくさん点在していて。だから、ぼくらにとっては墓地も遊び場。ヒーローごっこも墓地の中でやったりしてたんだ。

 でも、あらゆる家をなぎ倒し、片側2車線の道路ができてしまった。都市計画という名の下にね。幼馴染みの家もなくなり、みんな散り散りバラバラ。だから、小学校は近所の青南小学校に通っていたけれど、クラス会には一度も招かれたことがない。親の家や土地を相続することができず、売り払って郊外へ移ってしまった人も多いからね」

「松本隆と歩くぼくの風街 #2」を読む

松本隆(まつもと・たかし)

1970年にロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞家としてデビュー。解散後は専業作詞家に。手がけた作品は2,000曲以上にもおよぶ。

次の話を読む「アルバム3枚分くらいが、 はっぴいえんどはちょうどよかった」 松本隆と巡る青山、六本木…“聖地”巡礼

2023.07.16(日)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖