浅野 そう。ナポレオン党は、言ってみれば、ただ車と女の子と音楽が好きなだけの若者の集団だった。横浜マリンタワーの下にあったハンバーガーショップに集合して、車で本牧の「イタリアンガーデン」「ゴールデンカップ」といった生バンドが演奏する店に繰り出したり、箱根や湘南の方まで遠出したり。そういや、あの頃はまだ、今は歩行者天国になっている伊勢佐木町の通りも、車が走れたのよね。
クレオパトラ党の「3つのルール」とは
近田 1996年に刊行された『キャシー中島の落ちこんでなんかいられない!』(扶桑社)によれば、クレオパトラ党には以下の3つのルールがあったとか。「一、お酒もケンカもOKだが、タバコはすってはいけない。/一、どんな店であろうと、いったん踊りはじめたら、その店で踊っている誰よりもカッコよくステップを踏まなければならない。/一、一度でも男とセックスしたら、メンバーから出ていくこと」。これって、厳しく守られてたの?
浅野 ……いや、セックスぐらいしてたわよ(笑)。まあ、キャシーは私より2歳下だから、ちょっと厳しめのルールが課されていたのかも。しかし、改めてこうして振り返ってみると、クレオパトラ党っていう名前、ちょっと気恥ずかしいわよね。
近田 そういう気持ち、やっぱりあったんだ。確かに、自称しづらいよね(笑)。誰がつけたの?
浅野 分からない、自分たちで言い始めたんだったか、周りに言われたんだったか……当時は、何かっていうとグループ名をつけたがる風潮があったのよ。
近田 山口小夜子は、後にパリコレなどで活躍する世界的なモデルに成長するわけだけど、クレオパトラ党っぽさは希薄だよね。
浅野 そうね。私たちとは違って、至って普通のかわいらしいお嬢さんだったからね。ちょっと例外的な存在だったかも。
2025.01.25(土)
文=下井草 秀
撮影=佐藤 亘