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灯台は今も、沖を行く船を照らしている

 ここは、遠州灘に面していると同時に、天竜川の河口でもある。豊臣秀吉の時代から、山の上で伐り出された材木を筏にして川に流し、この掛塚湊から出荷していたという。

 江戸に火事があれば、この土地の木挽きと廻船問屋が大いに儲かった……という話もあったらしい。

「丁度、江戸と大坂の中間の湊として、江戸時代には栄えていたそうですよ」

 大正時代以降は、交易の港としての役割を終えているが、灯台は今も、沖を行く船を照らしているのだ。

 灯室にあるレンズは、LEDのフレネルレンズ。動かずに、点滅して辺りを照らしている。

 ふと灯室の天井を見上げてみる。

「あ、鉄板なんですね」

 この灯台は、下部はコンクリートでできていて、上部は鉄製になっている。むき出しの鉄の天井が、何とも素朴な雰囲気を感じさせる。

「官営の灯台が出来たのは、一八九七年なんです」

 明治三十年にこの灯台が完成。しかし、二〇〇二年になって海岸の浸食や、東海地震対策のため、現在の場所に移設されたのだという。

「ただ、この掛塚灯台は、官営ができる前に、私設の灯台があったんです」

 その物語こそが、この掛塚灯台の面白さと言っても過言ではない。

「あの、改心灯台ですね」

 そう。まずはその私設灯台のことを知るために、私たち一行はこの灯台に来る前に、磐田市歴史文書館を訪ねていた。

2024.08.02(金)
文=永井紗耶子
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2024年7・8月号