この記事の連載

 映画ライターの月永理絵さんが、新旧の映画を通して社会を見つめる新連載。第9回となる今回のテーマは、「人はわかり合えない」。

 年齢、性格、生い立ちすべてが異なる35歳と15歳。大好きだった父とわかり合えなくなった11歳の少年。大人と子ども、親と子だからではなく、“人と人”だからこそお互いを理解できない私たち――。6月公開の映画『違国日記』と『オールド・フォックス 11歳の選択』から、あたらしい人間関係を探ります。


「人と人は絶対にわかり合えない」に込められた希望

 どれだけ仲の良い友人同士でも、長い時間を共に過ごした家族でも、人と人が心からわかり合うのは難しい。ある一点に関しては意見が一致しても、別の点では意見が分かれるなんてよくあること。何度説明されようと、相手の行動がどうしても理解できないこともある。自分と他人とは違う人間なのだから、すべてをわかり合うなんて不可能だ。それでも人は、自分を理解してほしい、相手をわかりたい、と望んでしまう。好意を抱く相手ならなおさらだ。この絶対的な「わかり合えなさ」を前に、私たちはどう他人とつき合うべきなのか。

 ヤマシタトモコの原作漫画を瀬田なつき監督が映画化した『違国日記』は、まさに「わかり合えない」人たちの関係性を描いた作品。35歳の少女小説家、高代槙生(新垣結衣)は、ひょんないきさつから、両親を突然交通事故で亡くした15歳の姪、田汲朝(早瀬憩)を引き取り、二人暮らしをすることに。人付き合いが苦手な槙生と、人懐こい性格だがまだ両親の死を受け止めきれていない朝。しかも、槙生は朝の母親である実姉とずっと仲が悪く、死んだあとも彼女を許すことができずにいた。

 年齢、性格、生い立ちとすべてが異なるふたりの同居生活は、親子とも友人同士とも違う、奇妙な距離感によって成り立つことになる。「人と人は絶対にわかり合えない。だからこそ、そういう人たちを描きたい」と、原作者のヤマシタトモコはこれまでインタビューなどで度々言及している。実際、槙尾はくりかえし朝にこんなことを語る。私たちは別々の人間で、それぞれにできることとできないことがある。同じ事柄に抱く感情だって違う。その違いはどうしようもないのだと。

2024.05.31(金)
文=月永理絵