搭乗する便は予定通りの運航らしい。待ち合わせ場所はたしかに、この出発ロビーのAゲートの前だった。きょろきょろと見渡すと、Aの標識が見えた。封筒をしまって、優彩はリュックのベルトをぎゅっと握る。
世の中、そんなにいい話はないのだ。たとえ誰かが待っていたとしても、騙されている可能性だって高い。期待しちゃいけない。自分の身に、そんなに幸運なことが起こるわけがない。慎重にならなければ――。
しかし心の防衛線を張るよりも先に、胸がとくんと打った。
あの人かもしれない。Aゲートの前に立っている、一人の女性。
優彩よりもいくぶん背が高く、小さなプラカードを掲げている。〈梅村トラベル 桜野優彩様〉と書かれていた。こちらの視線に気がつくと、まるでマナー研修でやるような礼儀正しさで、三十度ほどお辞儀をする。
優彩はきつく瞬きをしてから、一歩ずつ、近づいていった。
「桜野様でしょうか?」
はい、と優彩は肯く。
「このたびは、弊社からの招待を承諾してくださり、ありがとうございます」
顔を上げると、女性は口角を上げた。正面から向き合ってみると、顔のパーツはそれぞれ小ぶりだがバランスがよく、きちんとメイクをした透明感のある人だった。頬骨の辺りに散ったそばかすを見つめながら、年齢はわからないが、少なくとも自分よりは年上だろうと思った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。あ、これ、一応持ってきたんですが……」
優彩は封筒を手渡そうとするが、女性からそれを制止された。
「お送りした案内状でしたら、わざわざ見せていただく必要はありません」
女性は代わりに、ジャケットの胸ポケットから名刺入れを出す。ジャケットこそ羽織ってはいるものの、その下はボーダー模様のTシャツで、足元は履きなれた感じのアディダスの白いスニーカーだった。
優彩はいつもの癖で、自分も鞄から名刺入れを出そうとして、はたと思う。
今、私には名刺がないんだった――。名刺というより、社会人としての肩書がない。
2024.01.23(火)