今のところ結婚と一番近いのは青森にあるキリストの墓だ

 そもそも交際相手に対し、あえて「一番の友達」だと言いたがるのは、私が「友人」という関係性についてこじれた気持ちを持っているからだ。

 私は、親友だと思っていた相手に大人になってから縁を切られている。
 ある日、あれ? メッセージに何日も既読がつかないな、と思ってSNSを見たら、すべてのアカウントでブロックされていた。私からの連絡は今後一切受け入れられないのだろうとわかったとき、私は仕事で空港にいた。頭の奥からツーンと冷えた。あえて普段は飲まない缶のハイボールを飲み、飛行機を眺めながら悲しもうと思ったけれど、場を作りすぎて思ったほど泣けなかった。
 これがいけなかったんだろうということは砂の数ほど浮かぶ。けれど、今はもう関係のない人だから、と最近やっと思えるようになってきた。恋人との別れはつらいが、恋人とはいつか別れるものなのかなと想像できる。だって、これまで何回も振ったり振られたりしたからだ。しかし、友達との別れは大人になってもまったく慣れない。

 シスターフッドを描いた作品は大好きであると同時に、大切な人から距離を置かれはじめているのに気づきもしなかった自分の愚かさや、同性の友人にいい顔をしようとしてしまう自分の不気味さが思い出されてしまい、思わぬところですごく落ち込むことがある。

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 すこし前、ラジオのゲストで来てくださった宗教学者の岡本亮輔さんの本『聖地巡礼 世界遺産からアニメの舞台まで』に、青森にある「キリストの墓」という場所についての話があった。

 1930年代、青森の三戸郡新郷村にある土饅頭がキリストの墓であるという説が突如持ち込まれ、今でもそこが観光地になっている。学術的に見れば、キリストの墓は偽物だ。
 だが、初夏には恒例行事「キリスト祭」が開かれる。十字架を囲み「ナニャドラ」という盆踊りが踊られ、奇祭あるいはB級スポットとしても大切にされている。

 村の人がこの場所について語るとき、自分自身は湧説(キリストが青森に来て埋葬されたという説)を信じていないが、「墓を信じていた人がいることを信じる」ことに力点が置かれている。つまり、「自分以外の誰かが墓を大切にしてきたことを尊重する」というスタンスをとっている。
 読んでいて、あれ、これかな? と思った。

 私にとって、今のところ結婚と一番近いのは青森にあるキリストの墓だ。

 私が扶養控除制度の対象外であること、異性愛者でマジョリティであること、すでにパートナーの存在を公言し、身近な人たちがそれを自然に受け入れてくれていることもあり、名字を変えるデメリットと比べて、いわゆる「結婚」である法律婚を採用するメリットは今のところ感じられない。いつになったら変わるのかと思う部分もある。
 けれど、私は私の両親や友人たちが信じてきた結婚というものに、自分なりの形で参加して、居場所を作ってみたい。たとえそれがB級と言われる場所であっても。

 私の頭の中の結婚は、素朴な土饅頭の状態だ。埋まっているのは聖なるものかもしれないし、ありふれたものかもしれないし、知らなければ良かったと思うようなものかもしれない。しかし未だに「あ~結婚したい」と口に出す私がいる以上、その土饅頭は祭りの中心地になり得るのだ。

石山蓮華(いしやま・れんげ)

1992年、埼玉県出身。電線愛好家・文筆家・俳優。日本電線工業会公認・電線アンバサダー。テレビ番組『タモリ倶楽部』や、映画、舞台に出演。著書に『犬もどき読書日記』(晶文社)、『電線の恋人』(平凡社)。TBSラジオで毎週月曜日~木曜日14時~放送中の「こねくと」にメインパーソナリティとして出演中。
X(旧Twitter)@rengege

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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。

(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)

2023.12.13(水)
文=石山蓮華