編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」の第4弾。自身のSNSで発信している、簡単なのにおいしくて華があるレシピが大好評の料理家・長谷川あかりさん。小さい頃から芸能活動をしていた長谷川さんが料理家に転身するきっかけとなるお話です。

 料理家になってから、亡くなった祖母が作ってくれたおにぎりのことを時々思い出します。まだ私が子どもだったころ、山形に住んでいた祖父母は、私たち家族の住む埼玉までしょっちゅう車で会いに来ていたのですが、その時祖母は必ずおにぎりを持ってきてくれました。くしゃくしゃのアルミホイルにくるまれた、見た目はほぼソフトボールくらいの大きなおにぎりで、まるまるひとつ食べるとそれだけで満腹になってしまいます。

 私は温かいおにぎりより冷たいおにぎりの方が圧倒的に好きです。コンビニで買ったおにぎりは絶対に温めないで食べるし、炊き立てごはんを握ったおにぎりも必ず冷めるまで待ってから食べます。それは、祖母が作ってくれた冷たいおにぎりが、今でもはっきりと思いだせるくらいおいしかったから。祖母のおにぎりは、アルミホイルの効果なのかお米は冷めてもふっくらと柔らかく、海苔はしっとりとして温かい状態よりむしろ旨味を濃く感じます。そして、うんと酸っぱい祖母自家製の梅干しが、ひんやりとしたお米の甘みを引き立てて、大きくても最後まで飽きずにぺろりと食べられたのです。

 祖母の口癖は、「けぇ!(食べろ)」。明るくて、おしゃべりで、やや強引な性格だった祖母は、私が山形に遊びに行くと、おにぎりだけではなく色々なものを食べさせてくれました。新鮮な果物、何種類もの自家製漬物、郷土料理の芋煮や玉こんにゃく……。私が食べるところをとにかく嬉しそうに眺めていた祖母の顔が、忘れられません。ただ、もうお腹いっぱいなのにどんどん料理を出されて「けぇ!」と言われるものだから、さすがに食べきれなくて喧嘩になったこともありました。中学生になり、完全に反抗期を迎えていた私は、おにぎりもほとんど食べなくなりました。ダイナミックすぎるサイズ感が恥ずかしいし、そもそもカロリーが気になって大きなおにぎりなんて食べたくない。渡されたおにぎりを「要らない」と突っぱねた時の祖母の悲しそうな顔も、やっぱりずっと忘れられません。

 料理を好きになったのは、高校生のころ。芸能の仕事が上手くいっていなかった当時の自分を救ってくれたのが料理でした。

2023.01.27(金)
文=長谷川あかり