編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」の第2弾。「なぜだか人生がうまくいかない」主人公あみ子の自意識まみれの毎日が大きな反響を呼んだ『まじめな会社員』(講談社)を描いた漫画家の冬野梅子さんです。

 「不安と期待の入り混じった」とはよく言うが、私が社会人になる時、不安と絶望しかなかった。

 初めての社会人生活、ドラマや人生相談で見るようないじめはないだろうか、仕事が忙しく鬱になったりしないだろうか……そんな不安と、「期待」の代わりにあるのは「残りの人生、一生ここで働くのか……」という絶望だった。そういう意味では、学生生活が終わってしまう大学4年の3月は本当に悲しかった。

 大学進学を機に上京し、学生生活を終えて社会人になったのがだいたい2010年代、非常に悲しいことだが、現在の物価高騰、年々上がる税金、削られる福祉を考えると、当時なんてずいぶんマシな時代だったのだと思う。一応社会人2年目まではボーナスもちゃんと上がっていた。

 私は都内の金融関係の会社で事務をしていた。内勤の事務ではなく、「窓口」に座ってお客さまを前にして手続きを行い、時には保険などをすすめる仕事である。入社してしばらく経ったころ、20代のパートさんから聞いた話だが「なんで入社したの?って聞くと、みんな『ここしか受からなかったから』って言う~!」のだそうだ。私も例にもれずその一人であった。
私とて就活当初は、早々に合同説明会を予約し、いろいろな業界を見て回って前向きに活動していた。しかし、徐々に就活がどういうものかわかってくる。今だけ一時的に頑張っても、理想の会社には入れないということが。

 高校生の頃は映画が好きだったので、映画会社などもエントリーするが説明会すら行けない。考えてみれば当たり前だが、東大生だって応募するような有名企業が私なんて採用しないだろう。もともと大学も生物・化学が強みの学校で、希望するアート業界とは程遠い。内定のためには現実を見なくてはと、なんでもいいから「営業職」で探すが、いざやりたいジャンルと関係ない仕事となると、なるべく残業だとかはしたくない。それに何より私は外向的ではない。「みん就」などの口コミサイトを見ても、営業はノルマや飲み会の多さ、体育会系のノリを連想させるイベント、パワハラ・セクハラともとれるコミュニケーションが多そうな印象だ。無理だ。しかし、やるしかない。

 そうしているうちに真冬になり、薄いストッキングにチープなパンプスを履いて、氷のように冷たい足は靴ずれで流血。時には想定外の生理痛に苦しみながら試験を受け、落ちる。その間バイトは減らしているし、電車代、外食代、ストッキング代、絆創膏、痛み止め、地味に出費も嵩む。

 そして、もういいや、と思った。 

 もともと在学中だって、何か熱心に映画や絵画の勉強をしたわけでも、就活用に試験勉強を頑張ったわけでもないし、 ああそうでした、大学だって親との進路戦争で負けてなぜか理系大学に行ったのでした、こんな結果は自業自得じゃないか。学生時代を無駄にしたバチでも当たってるんだろう。 そこからしばらく就活をやめ、4年の春頃になって一般職で就活を再開した。当時は、4月時点で内定を2つ以上もらっている学生も少なくなかったが、私ときたら1つもない。不安から朝6時まで眠れない日々が続き、毎回寝不足で面接に行っていた。そして夏頃になってやっと内定が出たので、就活にピリオドを打つためにこの会社に決めたのだ。 

 福利厚生、有休消化の推奨、残業は多くない、これらが仕事をする上での唯一の救いで、あとはとにかく口と鼻を覆うような絶望感に耐えながら退勤時間を待つ、そんな生活である。身近な友人たちの状況も似たようなもので、休みが週1の友人、家に帰るのは0時の友人、就職先が決まっていない友人、みんな大変そうだった。「私はまだマシなのだから、みんなに比べたらこんな楽な仕事、乗り越えないと人間として終わってる……」そう思っていた。 

 しかし、配属先は駅前の混雑する支店で、永久に待ち人数が減らない日もざらにある。営業ノルマもある。それに想像以上に仕事の種類・ルールが多く難しい。扱う書類だけでも100種以上、ベテラン社員ですら知らない手続きもある。 年2回ほど業務改正があり手続方法も変わる。細々した事務と並行して、喧嘩腰の客でもキレさせないよう笑顔で丁寧に素早く手続きして、あわよくば保険に入ってもらわないといけない。 拷問のような社会人生活、毎朝起きる時には「起きて仕事行くくらいならいっそ殺してくれ」と思いながら体を起こし、流れ作業のように準備して嫌々ながら改札前でダッシュ、寝不足の吐き気と仕事の憂鬱さに絶え、脳に靄をかけることで現実を認識しないようにし、意思と身体の神経を断絶して無理矢理ゾンビ化させた自分を動かして働いていた。「デッドウーマンワーキング」である。

 1週間のうち5日がゾンビ生活である。2日は休みであるが、日曜日なんて15時にもなれば憂鬱なので実質月曜日である。つまり、真の休日は土曜日のみとなる。この真の休日は、1週間の中で唯一人間に戻る日である。この土曜日を楽しく過ごさないと人生が「無い」も同然だ。

2022.12.07(水)
文=冬野梅子