1969年に世界の大注目を浴びながら結婚、どこに行くにも一緒で、まさに一心同体だったジョン・レノンとオノ・ヨーコ。

 そんな2人にも「失われた週末」と呼ばれる18カ月の別居期間がありました。しかもその間、ジョンにはヨーコ公認の愛人(メイ・パン)がいましたが、彼女はもともと2人のアシスタントを務めていたのです。

 長年オノ・ヨーコを近くで支え続けた米国の記者、デヴィッド・シェフによる伝記『オノ・ヨーコ』(訳・岩木貴子)より、一部を抜粋してお届けします。


2人の情事には傷つかなかった

 ヨーコは何事にも型破りのやり方で当たる人だったから、ジョンとの別居ももちろん例外ではなかった。彼を追い出し、さらには夫に愛人を“あてがう〞という彼女の決断は、これまでさんざん論じられてきた。

 ヨーコはジョンといったん距離を置きたかったが、ジョンのお世話係が必要だと思っていたのだ。アシスタントのメイ・パンが理想的な候補者として選ばれた。ジョンとメイが男女関係になっても、一度も嫉妬したことはないという。

 「2人の情事は私を傷つけるようなものじゃなかった」と彼女は言う。「私には休みが必要だったの。スペースが必要だった」

 情事に彼女は傷つかなかったのかもしれないが、この話が広まってヨーコとジョンのバラードの一部になると、ヨーコは人を操る冷血人間だという印象を強めることになった。

最初は個人秘書として雇われた

 ヨーコとジョンがパンとはじめて出会った時、パンはアレン・クラインのオフィスでアシスタントとして働いていた。1970年12月には、『アップ・ユア・レッグス・フォーエヴァー』という映像作品(『ボトムズ』と似ているが、この作品では体の別の部位を取り上げている)の制作で2人の補佐を務めた。後に、ヨーコに個人秘書として雇われた。

 必要とされることは何でもやり、マンションでも、スタジオでも、アート制作でも、買い物でも、ほかの用向きでも、何でもヨーコとジョンの手伝いをした。夢のような仕事だったとパンは言う。

「よくある1日の業務を挙げると、つまらない日常的なこと(モーニングコーヒーを淹れたり郵便物を確認したりとか)だけじゃなくてジャッキー・ケネディ・オナシスやアンディ・ウォーホルに電話するなんてこともあった」

2025.07.20(日)
文=デヴィッド・シェフ
訳=岩木貴子