ライターの武田砂鉄さんが、雑誌「暮しの手帖」でそのときどきで“拾った”言葉を取り上げた連載「今日拾った言葉たち」が、一冊に。本や雑誌、テレビに溢れる「言葉」という存在に立ち止まり、今を考え続ける武田さんに話を伺いました。今までなんとなくスルーしてしまっていた物事を、深く考えるヒントをくれるはずです。


「うまい言葉」の危うさについて考え続けたい

――本書の中では、否定的に取り上げられている言葉もあれば肯定的に取り上げられている言葉もあって、麻生太郎の発言もあれば阿佐ヶ谷姉妹のツイートも載っている、そのバラバラさが面白かったです。

 本当は、みんなそうだと思うんです。例えば朝起きて出かけて、移動しながらネットを見てニュースに「ケッ」と思ったり友達とLINEして「面白いな」と思ったり、電車を降りて歩きながら街や人を見て「へ〜」と思ったり、頭の中の動きにはいろんなパターンがありますよね。

 この本も同じで、「いいよね」と思う言葉もあれば「このクソ野郎」と思う言葉もあるし、「これってどうなんだろう?」とボヤッとしたまま通り過ぎていくものもある。だから載っている言葉が題材的にバラけているのは、日頃の頭の流れからすると通常の状態というか。入り乱れているのが常なんだと僕自身は思っています。

――同時に、書籍や雑誌、新聞からの出典が多く、TwitterなどSNSで発された言葉はあまり含まれていないのが気になりました。これは意図的なものなのでしょうか?

 そうかもしれないですね。SNSから拾うことももちろんありますが、僕は日頃から本や雑誌など、メディアとしては新しいものではないところにアクセスすることが多いですし、意識的にそうしているところはあるかもしれません。

――この数年で特にTwitterにおける「うまいこと」を言おうとする速度は上がっているように感じます。だからこそあえてピックアップしていないのだろうか、と感じました。

 そうですね。Twitterでは「よっ! いいこと言った!」というバズり方が繰り返されているじゃないですか。今回の本で取り上げている言葉は、積極的に取り上げるものにしても消極的に取り上げてるものにしても、そういった単に「いいよね」「悪いよね」という判断ではないんです。その言葉自体に対して「100点満点!」とか「5点!」と評価を下すような形ではない。自分にとっての入り口やきっかけになるような言葉を受け止めて考えてみることを大事にしていたので、SNS的なバズる言葉とはちょっと違う方向なのかなと、連載を続けてくる中で気づきました。

――SNSでバズりがちな、うまいこと言っている言葉は面白がられるけれど、それ自体を目的にしてしまうと何か失われるものもきっとありますよね。

 うまいこと言うのって、わりとすぐできるんですよね。海に沈んでいく夕日を撮ると誰でも良い写真が撮れるように、言葉もそういうつくり方をしようと思えばつくれるところがある。

 でも、「今、この場にこういう言葉を吐けば多くの人がついてきてくれるだろう」と考えて行う動作のプロセスを分解すると、本当に自分の言いたいことから「この角を丸めて、この部分をちょっと取り外して、今だったらここにもう少しくぼみをつけたほうがうけるかな」みたいに変形させていくことなんだと思います。それはあなたが最初に考えていたこととはだいぶ姿形が変わっているけど、いいんですか? と。

 ただ、そうして出された言葉が「さすがですね」と受け止められることが増えてきていますよね。その危うさについては、考え続けないといけないと思います。

2022.10.14(金)
文=斎藤 岬
写真=佐藤 亘