「私はこう思う」と発信できる場所を広げていきたい

――本書の帯には「わざわざ言わなくても、と思うかもしれないけれど」という言葉があります。「わざわざ言わなくても」とか「そんな細かいこと言わなくても」とか、混ぜっ返されてしまうことは多くの人が経験のあることだと思います。それでもわざわざ言う必要性を、どうとらえていますか?

 今日、数時間後には国葬が強行されるのでしょうが(※取材日は9月27日)、まさにあれはこちらの言葉を無視して行われるわけですよね。「なぜこれをやる必要があるんですか?」「理由を説明してください」と言い続けても言い続けても「うるせぇ、もう『やる』って言ったんだからやるんだよ」とパワープレーで行われてしまう。それってやっぱりおかしいじゃないですか。

 国葬のような大きなテーマに限らず、もっと日の当たりにくい社会的な事象や、あるいは日常的な会話のやり取りの中でも、言わずにいたらそのまま言葉が封殺される場面はいろんなところにある。混ぜ返さないことによって潰されている人や空間、組織があるわけですよね。それは、もれなくよろしくないと思う。自分の思っていることが届かないまま、その事柄が強行されてしまうわけですから。そうした場面を少しでも減らしていかなければならないと思ったら、わざわざ言葉を吐くしかないんです。

―― 一方で、逆に「いろんなことが言えなくなってきたよね」というようなぼやきも見聞きする機会が増えました。

 そういう言い方はいろんなところでされますが、実はいろんなことが言えるようになってきたんじゃないかなと思います。シンプルな話、SNSで放たれた言葉に対して「私もそう思ってました」「こう思う人がほかにもいたんですね」という連動の仕方も増えてきていますよね。これまでは「黙ってこうやってればいいんだ」と言われて黙らなければいけなったのが、「おかしいですよね」と言えるようになってきた。

――本書の中でも作家・王谷 晶さんの言葉である「SNSでは女は愛想笑いをしない」を取り上げていましたね。

 そうですね。愛想笑いって要するに、何かを言いたくても言えないときにするもので、それはまさに自分の吐き出したい言葉を口に出す前に封じられるということだと思います。そうではなく「私はこう思う」と言う場所が、SNSだけでなくても増えてきているのだとしたらいいことだと思います。

 「最近は何も言えなくなってきたよね」と言う人たちは、「何か」を言われる可能性に怯えているんだと思いますが、その裏側には「愛想笑いしなくてもよくなってきたぞ」という可能性があると思う。だからこそ、そういう場所をもっと広げていくことができたらいいなと思っています。

武田砂鉄(たけだ・さてつ)

東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年からライターに。新聞や雑誌など幅広いメディアで執筆活動を行う。ラジオ番組「アシタノカレッジ」のパーソナリティ(金曜日担当)も務める。著書に『紋切型社会―言葉で固まる現代を解きほぐす』(新潮文庫)、『マチズモを削り取れ』(集英社)など多数。

今日拾った言葉たち

定価 1870円(税込)
暮しの手帖社
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2022.10.14(金)
文=斎藤 岬
写真=佐藤 亘