自分の昔の原稿を読んで「これはダメだろう」と思うことも

――本書は、武田さんのこれまでの単行本と比べるとひとつひとつの文字数は短いですよね。なにか意識はされましたか?

 今回、連載を書籍にするにあたって加筆修正する際に、「『この言葉はこれくらいのボリュームで』と文字数を指定してください」と編集の方にお願いしたんです。指定されて、多少無理矢理にでも書いてみたものが入っているほうが本の形として面白いんじゃないかと思って。

――なぜ、そういうやり方を採用されているのですか?

 いや、この本に限らず、僕はわりといつも無理やり書いているというか、「そんなに書きたいことないんだけどな……」と思いながら書いてるようなところもあるので、そこはどんな本でも共通してるんです(笑)。

 でも、連載していたものに新たに書き足そうとすると、当然ですが5年前に自分が考えていたことを今の自分は考えていなかったりもするんですよね。「あぁ、こんなこと考えていたんだ」というところからもう一度言葉をつくっていくのは、これまであまりやったことのない書き方だったかなとは思います。

――武田さんは昔から一貫したスタンスを持っている印象なのですが、それでも以前書いたものと今の自分とで考え方の違いを感じることはあるんですね。

 それは誰しもそんなもんじゃないでしょうか。「あいつの原稿はしつこいな」と思われることは多いし、もちろんしつこさを自覚している部分もありますけど、自分が考えたり書いたりしゃべったりしていることはその都度その都度補強されたり、柔らかくなって溶けて消えてしまったりの繰り返しです。時間をかけて層が重なっていくイメージというか。なので、自分で昔の原稿を読んで「いや、これはダメだろう」と思うことも多々ありますよ。

――過去の発言を根拠に現在の当人が批判されるという出来事も増えています。おっしゃるように人の考え方は変わっていくものなので、「でもあのとき、こう言ってましたよね」という批判はどこまで成り立つんだろう? と考え込んでしまうことがあります。

 例えば政治家でもジャーナリストでも、何かについて発言した人がかつては全然違うことを書いていたときに、そこでたちまち「以前こう言っていたから許せない」となるのは良くないと思います。なぜなら今は考えを変えているかもしれないから。「以前にこう書いてましたが、今はどう考えているんですか?」と問いかけをするのはいいと思います。それに答えればいいわけだから。「ちっとも変ってない。変える必要もない」という姿勢なら、当時から現在に至るまでその人が言ってきたことを検証すればいい。

 でも本当にケース・バイ・ケースで考えていくしかないと思います。この本で、積極的ではない取り上げ方をした言葉について当人から「いや、今は違う考えなんですけど」と言われたら、受け止めた上で対話をしていくしかない。ネガティブな言葉も取り上げているけれど、「この人は袋叩きにしていい人です」と確定しているわけではなく、考え方は流動しているし、それを見つめるこちらの考え方も流動しているということでしかないのかなと思います。

2022.10.14(金)
文=斎藤 岬
写真=佐藤 亘