編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」の第7弾。今回は、TBSラジオ「こねくと」のメインパーソナリティをつとめる石山蓮華さんです。エッセイの名手でもある石山さんがテーマに選んでくださったのは、「結婚」をめぐる一筋縄ではいかない想いについて。
歯が痛いときや疲れているとき、「あ~、結婚したい」と頭に浮かび、「マジで? 」とはっとする。我ながら、こういうときに結婚が浮かんで来ちゃうのって、今時どうなんだろう。私のロマンチック・ラブ・イデオロギーは根深い。
つい、浴室用カビ取り洗剤の広告でシリアスに出される「こんなに根深くカビが生えています」という黒々した絵を連想し、けして結婚願望そのものは悪いものではないはずなのに、なんだかざらっとした気持ちになる。
同時に、結婚情報誌のCMやインスタグラムで見かけた洒脱な白いドレスも思い浮かべる。私はいつか、かっこいいドレスを着たい。着物でもいい。おめかしできればなんでもいい気もする。
こういうときに浮かべている「結婚」には、影も形もない。「けっこん」という響きと、いわゆる幸せのイメージがぽっと浮んで、誰と、いつ、なんで、といった具体的な像や願望は二拍くらい遅れてやってくる。
しいて言えば、パーティがしたい。でも、それだって友達がやっているから私もしてみたいというミーハー根性であり、理由をつけて大きめの飲み会を開いてみたいだけとも言えるかもしれない。関わり合いのある人たちに向け、自分たちの関係性をお知らせする会。いわば個人的なPRの会、パーっとやってティー。ミーのハーで、パーのティー。
しかし、実際「あ~結婚したい」とつぶやくと、心の重荷をレターパック一個分くらい下ろせる。これは誰に向けて言うと言うより、独り言として呟くのがいい。温泉や京都のことを考えるだけで、旅行へ行かなくともちょっとだけ心に明るさが差し込むのに近い。立ち上がるときの「どっこいしょ」。座るときの「よっこらせ」。へこんだときの「あ~結婚~」。
でも、本当に結婚したら、「結婚したい」の代わりになんと言うのだろう。
正直に言って、考えれば考えるほど、私が結婚したい理由ははっきりしない。
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数年交際しているパートナーとは、休日も平日もよく二人で出かける。一緒に住んでいるから予定も合わせやすいし、食事や洋服、本などの趣味もだいたい合うので楽しい。一番の友人は彼だと言ってもいいかもしれない。
すでに家族や友人、仕事関係者にもパートナーとして紹介していて、以前出した本にも彼と暮らしていることは書いているから、世間に隠している訳でもない。入院したときも、確認書類の類は彼にサインしてもらった。
身近な夫婦といえば、私の両親である。休日にはよく二人で出かけており、お揃いのスニーカーを履き、LINEからそれぞれを撮った写真が送られてきたりもする。子どもの頃から仲の良い人達だと思っていた。
私はあくまで子の立場でしか知り得ないし、万事が順調であるとは書けないけれど、長い時間を一緒に過ごし、さまざまを共有できる人がいるのは傍目に見て楽しそうだ。
気づけば私も、結婚している人と同じような暮らしはすでに流れ始めている。
それでは、今、法律婚したいのかと自問すると、私は特にしたくない。内閣府のホームページによれば、結婚した女性のうち94・7%の人が自分の名字を変えている。結婚した友人たちでもほぼ全員が夫の名字に変えており、妻の名字に変えた人は一人しか知らない。
日本の法律では、夫婦になった二人に一人が必ず名前を変えることになる。二人とも馴染んだ名前を使い続けるという選択肢はまだない。
私は自分の名字にすごくこだわりがある訳でもないが、面倒なので名前は今のままがいい。だからといって、夫となる人に名字を変えて欲しいとも思わない。何度か話し合いもして、名字を変えない方が変える方に対し、謝礼として300万円くらい払うとか、じゃんけんで決める案も出たが、どれも現実的でない。
結局、お互いに自分がしたくないことを相手に押しつけたくないからだ。
そこで、事実婚である。
『事実婚と夫婦別姓の社会学』という本によれば、事実婚は「婚姻届を出さない事実上の夫婦関係」を意味する言葉であり、すでに私は事実婚の実践者ではある。
しかし、友人に「結婚するんだ」と言ったときに「いつ籍を入れるの?」と聞かれて「事実婚だから、書類は出さないよ」と返したときのなんかこう、場の空気の気まずい感じ、そして「いつ」とか「きちんと」みたいな空気に何度も触れる度、もっと形にはまった方が楽なのかなあという思いがむくりと膨らんできた。
本当は、今年のうちに事実婚カップルとして公正証書を作るはずだった。ただ、急にたくさん働くようになったので、日々のさまざまなことの後回しになっている。
これまでも結婚を考えたことは何度かあるが、理由のひとつに「お金も仕事もないから扶養されたい」というものがあった。
周りでの結婚話が特に盛り上がった20代後半のころ、今のパートナーに「私たちも結婚かな」と聞いてみたら「まず、自分の家賃を自分で稼げるようになってからの方がいいんじゃないの?」と言われ、ぐうの音も出なかった。意見の正しさもさることながら、結婚をどこか逃げ道のように考え、相手に頑張って働いてもらえれば私はこのままでもいいという甘えをライトでピカッと照らされたからだ。
口では自立したいと言いながら、具体的に動く前に考えが逃げに向かっているのを指摘されると気まずい。弱くとも、たくさん働かなくても好きに生きられる世の中になってくれとも思うけれど、男だから他人の傘になると思われるのだっていやだろう。
2023.12.13(水)
文=石山蓮華