編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」の第8弾。今回は、バンド「トリプルファイヤー」のボーカルであり、エッセイや脚本など文筆方面でも活躍中の吉田靖直さんです。「自分の憧れの人に会ったときのKIMOCHI」を書くはずが(「KIMOCHI」といえば!)、吉田さんの想いは少々意外な方向へと転がっていきます。

 たまに仕事で有名人に会うことがある。そうすると後日知人や友人から「本物に会ってみてどうだった?」とか「やっぱりオーラあった?」などとよく聞かれたりするのだが、その都度答え方に困る。「オーラとかよくわかんないけど、ああ、本物だぁって感じだったよ」とぼんやりした返答をしてみても、相手はなんだか物足りなそうな顔をしている。自分が求められている答えは何となくわかるし、できれば私も「あんな人、今まで会ったことないわ!」と興奮した様子を見せて会話を盛り上げたい。

 私は別に“ミーハーじゃないアピール”をしたいわけではない。ただ実際のところ、有名人と会えてめちゃくちゃ嬉しいと思えるような感覚が昔に比べ今では減衰しているように感じられるのだ。正直20代の頃まではテレビで見たことのある人と仕事で会うたびに興奮していたし、たとえ世間的な知名度はなくともライブハウスで観てこちらが一方的に好意や憧れを抱いたバンドと共演できたり楽屋で普通に会話できるだけで天にも昇る気持ちだった。そんな日は絶対に良い印象を残したいと気合を入れてライブをやったし、打ち上げでも何とか爪痕を残そうと必死だった。いつしかそんな感覚がなくなっていったのは、自分が実際にいろんな憧れの人たちに会って慣れてしまったせいもあるかもしれないが、やはり主な理由は自分が歳を取ったことによるものだと思う。

 真心ブラザーズの『拝啓、ジョン・レノン』という曲の一節に「拝啓、ジョン・レノン/僕もあなたも大して変わりはしない/そんな気持ちであなたを見ていたい/どんな人でも僕と大差はないのさ」という歌詞がある。私はそれを中学生の頃に聴いて、まあそういった「天は人の上に人を造らず」的な考え方もあるのはわかるけど、それは理想論に過ぎず、本当に自分とジョン・レノンに大差がないと信じることなど可能だろうかと疑問に思った。作詞者である倉持陽一さんは当時すでにミュージシャンとして大きく成功していたから、そりゃまあ自分よりは遥かにジョン・レノン寄りの位置にいるのだろうとも思ったが、この歌詞については実際に一部のリスナーから「調子に乗るな」と批判があったりもしたらしい。大人になった今、私にはこの歌詞が当時よりもスッと腑に落ちる。また「Disney +」で配信しているドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ:Get Back』を見たときも、ビートルズも自分も根本的には違わないのだなと思った。もちろん私と違って彼らが伝説的な天才集団であるのは言うまでもないが、たとえば曲を作っていく過程を見て「ビートルズも普通のバンドだったんだ」という感想を持ったバンドマンは私の周りにも少なくなかった。

 今でもすごい人に会うと自分との差を感じることはあるし、逆に自分よりダメだなと思う人に会うこともあるが、すごい人にしろダメな人にしろ、与えられた条件や人生の進み方によっては自分がそうなっていたケースも想像できることが増えた。

 たまに二十歳前後でやる気に満ち溢れた若者と話すと、尊敬する相手に対しては100%の憧れで全肯定する一方、軽蔑する相手のことはどこまでも見下していて、あまりの高低差に面食らうことがある。今の私からすると「ちょっとしんどいな」と感じてしまうのだが、たしかに二十歳頃の自分を思い返せば似たような部分はあった。

 若い頃の自分は今よりも差別的だったと思う。こう言うと悪く聞こえてしまうかもしれないが、それはつまり、尊敬する人も軽蔑する人も、自分とは全く別の人間だと思っていたということだ。また現状に満足せず自分を高めていくモチベーションを保つ上ではそのような感性が必要だったのだろう。今の私は、ただ単に歳を取ってあの頃あった情熱や向上心が失われただけだとも言えるかもしれない。

2024.01.17(水)
文=吉田靖直