浅田 当時のイメージとしては、袁世凱や孫文が天下を賭けた麻雀の卓を囲んでいて、ノーマークの張作霖がいきなり渋く「リーチ」と宣言して全員が驚愕する……という感じだったと思いますよ。
川越 あの長城を越えて行くシーンの勇壮さがまさかリーチの場面だったとは……でも、まさにその通りですね。
浅田 構想段階では『中原の虹』で彼の死まで書く予定でしたが、英雄譚とするためには最も格好いいところで終わらせなければいけないと思って、張作霖爆殺は次作『マンチュリアン・リポート』まで送りました。
澤田 あの作品の視点の取り方には驚きました。
浅田 複雑怪奇な事件の全容を、どうしたら“事実”以上にドラマティックに小説に書けるかと考えると、誰の視点でも人間では足りない……というところで「機関車視点」があるじゃないか! と思いついたわけです。
澤田 神様や動物という視点はいくつかお書きになっていますが、無機物視点は初めてではないですか?
浅田 少なくとも機関車は初ですね。
近い歴史を書く難しさ
浅田 96年に『蒼穹の昴』、97年に第2作『珍妃の井戸』を刊行して、3作目の『中原の虹』を書き出すまでには8年がかかってしまいました。これは諸事情あるのですが、一番には当時まだ張作霖の息子・張学良が存命だったことが大きかった。
川越 そうか、彼は100歳と長命だったから……。
浅田 晩年はハワイに住んでいたので、ホテルの下まで何度行ったか分かりません。面会とまで言わずとも目撃したい、同じ空気に触れずに書いて良いものか、という気持ちがありました。執筆に許可を得たいわけではなくとも、近い歴史を書くということは、作家の精神的に難しいと痛感しましたね。お二人もそういう経験はあるでしょう?
澤田 『星落ちて、なお』で絵師・河鍋暁翠を書いた際は、お孫さんがご健在なので、お目にかかりました。幸い「小説なんだから好きに書いていいですよ」とおっしゃって下さいましたが、お会いするまでは躊躇がありました。書いては駄目と言われたらどうしよう、と。なので、いっそ最初からお目にかからないのも、ひとつの手かもしれませんね。
2023.01.23(月)
文=「オール讀物」編集部
写真=石川啓次