世界は「私のナンバーワン」で溢れている。
推しの名を明かさずにいたら、探し当てようとする人たちも現れた。誰もが見事に、自分がハマった沼の誰かを私が推していると信じて疑わない。みんながみんな、我が推しが生きる世界こそが究極だと信じている。私はとても幸せな気持ちになった。世界は「私のナンバーワン」で溢れている。推しのいいところを歌にしたら歌詞は100番まで続くだろうが、それを万人に楽しんでもらえるとは思えない。でも、それでいいのだ。
現場に足を運ぶようになると、愛情と悦楽は深まっていった。一丁前に批判精神まで芽生えた。健全なのか、厄介オタのとば口なのかはわからない。
知らないことは調べ、識者に質問を重ねること数か月。それまで意味をなさなかった、同じ沼に棲むさまざまな人の会話や文章が、情報として理解できるようになっている自分に気づく。まるで「ネイティブの会話が突然スルスルわかるようになったんです!」と興奮する通販番組のモニターみたい。推しのおかげで、新しい言語まで体得してしまった。そりゃ尊くもなるよ。推し本人の活動は、そのまま私の血肉になっている。
大なり小なり、誰もが心に重しを抱えて生きている。それを軽くできるのは自分だけだが、推しやエンターテインメントの存在がなければ、私にその力は湧いてこない。推しが後ろ盾となり新しいものの見方を覚え、私はとても豊かになった。金品と異なり、これは誰にも奪えない豊かさだ。ありがとう。
板の上に立つ者はそこに立ち続ける限り、光となり誰かを照らす。素通りされたり泥団子を投げつけられたりしても、あなたが自信を持って輝き続けることを祈る者の存在を、ゆめゆめ忘れないで欲しい。
あなたは尽きぬ魅力という銀の匙を咥えて生まれた、私の人類最オキニなのだ。
(雑誌掲載時の原稿を単行本収録にあたり一部改稿しています)
ジェーン・スー
1973年、東京生まれの日本人。作詞家/ラジオパーソナリティ/コラムニスト。2015年、『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月~木、11:00~13:00)が放送中。またポッドキャスト「ジェーン・スーと堀井美香のOVER THE SUN」を毎週金曜17:00に配信中。近著に『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない 愛と教養のラブコメ映画講座』(ポプラ社)。CREA連載のエッセイをまとめた『ひとまず上出来』(文藝春秋)は2021年12月15日(水)発売。
ひとまず上出来
ジェーン・スー
定価 1595円(税込)
発売日:2021年12月15日
文藝春秋
重ねる歳はあるけれど、明けない夜はないはずだ。
CREAに連載された「●●と▲▲と私」に加え、話題沸騰の推しエッセイ、楽しいお買い物についての書きおろしも収録。いまの私にジャストサイズの最新エッセイ集!
四十路、化粧が写真に写らないミステリー/なぜ私のパンツは外に干せないのか/「疲れてる?」って聞かないで/ていねいな暮らしオブセッション2021/「四十代になれば仕事も落ち着く」は幻想です/「愛される」は愛したあとについてくる、らしいよ/#今日の鍛錬/「怒ってる?」って聞かないで/私はちょっと怒っているんですよ/「おかしい」言うことの難しさよ/やりたいか、やりたくないかの二択です/中年の楽しいお買い物/ラブレター・フロム・ヘル、或いは天国で寝言。…ほか50エッセイ収録!
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2021.12.10(金)
文=ジェーン・スー
イラスト=いえだゆきな