CREA2021秋号エンタメ特集号に掲載、たちまち話題となったジェーン・スーさんの“推し活エッセイ”。自身の「推し」の名前にもジャンルにもまったく触れていないのに、「沼」への落ち方、推しのいる生活を見事に表現した、“奇跡の3,500文字”と呼ばれました。
あらゆる「推し」を持つすべての人に共感の渦を巻き起こしたこの奇跡のエッセイが、12月発売の単行本『ひとまず上出来』(文藝春秋)に収録されます。全文を、一足早くCREAwebにて大公開!
ラブレター・フロム・ヘル、或いは天国で寝言。
あの日、私はきまぐれにいつもと違う角を曲がった。曲がったところでドンとぶつかり、「すみません」と会釈し前を向き直す。「あれ? どこかで会ったことがあるような」。訝しげに振り返ると、その人はもういなかった。気を取り直し、再び前を向く。すると、街中のビルボードやら交通安全ポスターやら、とにかく目に入るすべてが、さっきぶつかった人の顔にすり替わっていた。なにこれ、怖い。
私が人生初の推しに出くわした瞬間はこんな感じ。あ、リアルでぶつかったわけではないです。たとえるならってこと。ひと目見た瞬間に雷に打たれたとか、体中に電流が走る系のそれではなかった。平熱のまま、世界が切り替わってしまったのだ。ぶつかる前まで、自分がどんな世界で生きていたのか、もう全然わからない。
2020年の私は散々だった。ほとんどの人がそうだったろう。騙し騙し、工夫しながら新しい日常を味わう努力は楽しくもあったけれど、常に不安がつきまとう。仕事でもプライベートでもいろいろあって、私は少しずつ疲れていった。夏を過ぎたあたりにはもうアップアップ。
言うなれば生活排水垂れ流しの小川で、髪の毛に死んだ虫やらゴミやらを絡ませ、仰向けでダラダラ流されるままの暮らし。それでもやらねばならぬことは山ほどあり、ひとつずつ片づけていくしかないことは年の功が知っている。淡々と粛々と毎日を重ねていたら秋が来て冬が来て、年が終わる頃、ドンとぶつかった。
これまでだって、キツい経験をした私の命を明日に繋げてくれたのはエンターテインメントだった。悪霊退散とばかり、念仏を唱えるようにラッパーのNasやKIRINJI(当時はキリンジ)ばかり聴いたり、総合格闘家の青木真也選手を応援することで負けん気を養ったりした。ビヨンセにも大変お世話になっている。でも、今回はそのどれとも違う。
ちょっと前までの私は、尊いとか高まるとか沼とか、正直まったく理解できなかった。ハイテンションで語る友人はみんな幸せそうだったが、どうにもついていけない。「楽しそうで良かったね」とやや退き気味に眺めながら、そうはなれない自分を残念にも思った。没入できるものがあることがうらやましかった。しかし、ひとたび自身に降りかかってみれば「これが推しか」「ここが沼か」としか言いようがない。
2021.12.10(金)
文=ジェーン・スー
イラスト=いえだゆきな