あー、頭が全然動いていない……

 するとしばらくして返信がきた。私はぼーっとしていて、それすら気がつかなかったのだが、お兄さんと友だちが同時に、「返信が来た」と教えてくれたのである。

「わあ、すごい。私もがんばらなくちゃ」

 彼女にそういわれて、私もがんばらなくちゃと思った。

 とりあえず、ショートメールのやりとりはできるとわかり、家での接続をどうするかという話になった。うちはWi―Fi環境にはしていない。なぜかというと、仕事で使っているパソコンは、線でつなげていないとどうも不安なのである。彼はパソコンともども、Wi―Fiにしたら安くなると勧めてきたが、パソコンが不安定になると仕事に影響する。しかしスマホを使うにはWi―Fi環境がないと、アップデートもできず、タクシーも呼べないらしい。その場合は工事なしで、設置して通電するだけで使える機械があるという。この件については家に帰って検討するので、のちほど返事をしますといっておいた。

 この時点ですでに一時間半以上経過していて、覚えなくてはならない事柄が、私の頭の容量を明らかに超えていた。確認のための書類が目の前に置かれ、そこには担当者がきちんと説明をしたかなど、チェック項目がいくつも並んでいた。彼はそれを読み上げながら、ひとつひとつチェックしていくのだが、彼の言葉に、「はい」「はい」と返事はするものの、そのすべてが左の耳から右の耳にまっすぐに抜けていって、頭の中には何も残らなかった。

(あー、頭が全然動いていない……)

 それだけはよくわかった。書類にサインをし、

「それではこちらのコピーをお渡しします」

 と彼が裏に引っ込むと、勢いよく店のドアが開いて、スーツにネクタイ姿の七十代くらいの男性が飛び込んできた。

「あのね、鳴らなくなっちゃったんだよ、スマホが。壊れたみたいなんだ」

 彼はものすごくあわてていた。彼の仕事にとってスマホは重要な位置を占めているのだろう。

「昨日まではそんなことなんかなかったのに。いったいどうしたんだろう」

 店長が、

「ああ、そうですか」

 とスマホを受け取って調べていると、すぐ、

「ああ、これですね。ここがほら、オレンジ色がみえているでしょう。こうなっていると音が……」

 といいかけたとたん、彼の言葉をさえぎった男性は、

「あーっ、あーっ、そうなっちゃってた。そりゃあ、鳴らないね。どうもどうも、ありがとう」

 と急いで店を出ていった。友だちは、

「ああいう人もいるから、大丈夫」

 と小声で私にいった。

難関を乗り越えた群さん、ついにスマホを手にする

 数々の難関をのりこえて、スマホが私の手に渡された。私よりもずーっと喋りっぱなしの彼のほうが疲れたに違いない。私はバッグの中に入れていた、プロポリス入りのど飴をわしづかみにして、

「どうもありがとう。このくらいしか御礼ができないけど」

 といって彼にあげた。近年、こんなに頭を使ったことがないので、私はくたくたになっていた。店の外に出ると友だちは、

「さあ、カバーとかいろいろと必要だから、ついでに買いにいきましょ」

 と近くにある東急ハンズに向かって、元気よく歩き出した。

スマホになじんでおりません

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2025.09.13(土)
文=群 ようこ