働く女性たちから支持を集めている雑誌『日経WOMAN』で、1998年から好評連載中の「妹たち」が14年ぶりに単行本となって発売されました。

 これまで、さまざまな悩みを乗り越えてきた“姉”20人が、どのようにして現在のポジションを手に入れたのか――彼女たちの言葉で惜しみなく綴られています。

 本記事では、元TBSアナウンサーで、現在はエッセイスト、メディアパーソナリティとして活躍する小島慶子さんが自身の執着と偏見に気づいた体験、そして現在の日本社会への疑問を一部抜粋してご紹介します。


診断が出たことで楽に

 私は18歳で摂食障害、33歳で不安障害を発症、41歳で軽度のADHDと診断されました。困難もありましたが、それは幸せになろうと模索した結果でもあり、両親や姉、夫との関係を考え続けるなかで、今の私があります。

 41歳のとき、ADHD(注意欠如・多動症)と診断されました。診断を聞いたときの思いは、「もっと早く知りたかった」。落ち着きがないこと、気が散りやすい一方で、目の前のことに過集中してしまうこと、集団行動や人付き合いが苦手なこと――。

 自分の特性を知り、仕組みが分かって気が楽に。今は、自分をいたわれるようになりました。失敗はするけれど、なるべく自分を褒めるようにしています。忘れ物をしたら、「気づけて偉かった」みたいに。

 制作会社でディレクターを務めていた夫が会社を辞めたのは、2013年のことです。

 予想外でした。当時、長男は9歳、次男は6歳とまだ幼いのになぜ、と。

 でも、夫は私が会社員という安定を手放し、収入ゼロになるリスクを受け入れてくれたのだから、私も彼が悩み抜いた末に出した結論は尊重したかった。そうして、私がお金を稼ぎ、夫が家のことを中心に担う生活が始まりましたが、実際にそうなってみると夫をどう尊敬すればいいのかと戸惑いました。

 実は、男性の収入や肩書に執着していた自分に気づいてショックでした。自分が一家の大黒柱となったことへの不安は、夫への言葉の暴力となって表れました。「稼いでいないくせに」。そんなモラハラ発言を自分がするなんて…。

 このままではいけない。夫をいじめないように生活環境を変えてみようと、東京から家族の拠点を移すことを話し合いました。

2025.08.09(土)
文=小島慶子