“出稼ぎ母さん”生活がスタート

その頃、多様化する社会や日本の行く末を考えたとき、子どもたちをいわゆる“いい学校”に通わせて、日本の社会の上澄みに送り込めば安心という発想の一時代前の子育ては通用しないと感じていました。
縮みゆく日本にしがみつくのではなく、広い世界のどこかでは生きていけるような基本的な力が不可欠です。そのためにも英語圏への留学はさせるつもりでしたが、同じお金をかけるなら、最初から海外に住めばいいのかも、と思い立って。オーストラリアへの“教育移住”をしたのです。
そこから、日豪を行き来する“出稼ぎ母さん”生活がスタート。最初の4年ほどは、まだ小さい子どもたちとなるべく一緒に過ごせるように、レギュラー番組をほぼすべて降り、日本で3週間働いては3週間家族の元に戻る生活。
交通費はすべて自腹ですし、稼ぎ手がひとりになった心理的負担はありましたが、生活を変えればいいと割り切りました。東京ではビンテージマンションを借り、高級家具に囲まれて暮らしていましたが、オーストラリアでは手頃な古い借家で、家具はイケアで十分満足です。
移住して感じたのは、本来人生は、ああもこうも生きられるのだということです。1日で真逆の環境に飛んでも、私は普通に呼吸をして生きている。一歩踏み出した先は奈落の底ではなく、すべては地続きで、住めば都。生きる場所は案外たくさんあると感じます。でもそう言えるのは、結果としてなんとかここまでやってこられたから。幸運だったと感謝しています。
日本は男女格差が極めて大きく、女性は賃金が低く雇用も不安定で、離婚や死別で単身になった途端に貧困に陥るような脆弱な立場に置かれています。それは決して、女性の能力のせいではありません。社会の構造の欠陥です。
本来は、誰もが安心してああもこうも生きられるような社会であるべきなのです。もし離れることができるなら、家族でも職場でも、心身が擦り減るような苦しい場所からは離れてください。もし事情があって離れることができないなら、ひとりで抱え込まず助けを求めてください。少しずつ頼れる仲間をあちこちにつくってください。
私も精神的にしんどいときには、専門家や友人にたくさん頼って助けてもらいました。生きることは思い通りにならず、いつも予想外のことが起きます。でも同時に、思いがけない喜びや発見にも出合えます。もがいているうちに、気が付いたら心地いい場所にたどり着いていることもあります。
今やれることを地道にやり、今できることに感謝し、休めるときには休みましょう。そして新しいことに踏み出すチャンスがあれば、迷わず挑戦を。予想と違う結果になっても、大丈夫、人生は地続きです。
私も出たとこ勝負の迷い旅を、これからも書いたりしゃべったりして実況していきます。
小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト、メディアパーソナリティ。第36回ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティー賞を受賞。TBSアナウンサーを経て、2010年に独立後は執筆、メディア出演、講演など幅広く活動。14年より息子たちと夫はオーストラリアで暮らし、自身は日豪を往復する2拠点家族生活に。息子たちの海外大進学を機に、24年から日本に定住。著書に『解縛(げばく)』(新潮文庫)ほか多数、近著に対談集『おっさん社会が生きづらい』(PHP新書)。連載多数。昭和女子大学現代ビジネス研究所特別研究員。
https://keiko-kojima.com/

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2025.08.09(土)
文=小島慶子