福山雅治にとって、東野圭吾とは
2007年のドラマ「ガリレオ」以来、長きにわたって親交を深めている作家・東野圭吾は、福山雅治にとってどんな存在なのか。
「日本の作家史に残るのは当然ながら、世界的にみても、巨大な作家さんであることは間違いないです。しかし同時に、僕がそばで見てきた東野先生は『市井の人』でもあるんです。一生活者であることと、世界中で読まれる大作家であることの共存と振れ幅。そこに不思議さと凄みを感じます。そして何より、人情味あふれるお人柄。

育ってこられた環境や日常の暮らしのお話を伺っていると、人と人との結びつきを当たり前に大切にされているなと感じています。僕はと言えば、盆暮れ正月や家族旅行、そういう当たり前のことが実はあまりできていない。忙しさを理由にして、普通だったら参加するようなことに参加できていないことへのうしろめたさがずっとあるんです。
東野先生の作品に出てくる人は、主人公に関してはキャラクターが際立っていると思います。湯川学という天才物理学者であり、かつ『結果的に名探偵』という人物像は紛れもなく発明だと思っています。しかし、他の登場人物たちは、いい意味でありふれた日常を暮らしている。その心の機微が描けるのは、先生が、日々の人付き合いをごく自然にやられているからだろうなと拝察しています。
『沈黙のパレード』であれば、湯川と大学時代からの同級生である草薙俊平との友情。『ブラック・ショーマン』であれば、神尾武史が兄に対して感じている恩義、姪・真世を『自分が守る』という確固たる意志。彼が持つ『大切な人への情』が読者や映画を観に来てくれた方々の心に迫ってくるのも、先生が日常の暮らしを大切にしているからだと思います。
一方で、先生は物理学を学ばれていたので非常に論理的で、物事をロジカルに分解し、後に組み立てることができる方でもある。この両軸が東野作品の面白さだと僕は思っています。
少し話はそれるかもしれないですが、偉大なアーティストが生み出す作品の『届け先』というのは、例えばジョン・レノン、例えばゴッホ、誰か1人のために創作をしているという面もあると思います。それが何百万人、何千万人の心に届く。さらには、時代を超えて、人の心を揺さぶり続ける。先生を間近で見ながら、東野作品を読んでいるとそんな風に感じることがあります」
2025.09.11(木)
文=「週刊文春」編集部