この記事の連載

高台の展望広場へ

 翌朝もみごとに晴れた。

 後出しじゃんけんのようだが、〈晴れ女〉としての実績は着実に積み重ねてきた自負がある。人生において、雨傘というものをさす頻度が極端に少ない。

 肌に痛いほどの陽射しの下、この日いちばんに訪れたのは、太平洋に突き出た岬の突端にある八幡岬(はちまんみさき)公園だった。

 上ってゆく遊歩道の右手の崖は切れ落ち、その下に海が広がる。波と風に浸食された岩肌が延々と連なる様子は、アイルランドあたりの茫漠とした風景を思わせ、けれど波間に浮かぶ岩には小さな鳥居が立っていて、ここがまぎれもなく日本であることを教えてくれるのだった。

 まち歩き観光ガイドの石嶋健司(いしじまけんじ)さんと落ち合い、高台の展望広場へと案内してもらった。お年を召していらっしゃるのに、歩きづらい木の階段を先に立ってすたすたと上って行かれる。

 五分ほど歩くと、ぱっかーんと眺望がひらけた。水平線はゆるやかに湾曲し、視界のほとんどが海と空の青に埋め尽くされる。

「よくわかるでしょ。地球が丸いということが」

 石嶋さんが言った。

 広場の端には、尼の姿をした女人の銅像が立っていた。上総の戦国武将にして勝浦城主であった正木頼忠(まさきよりただ)の娘で、のちに徳川家康の側室となった〈お万の方〉だ。孫は水戸光圀、曾孫は将軍吉宗。石嶋さんはごく自然に「お万(まん)の方さま」と呼んでいた。

 十四の頃、城を攻め落とさんとする家康の手勢から逃れるため、彼女はこの東側の崖に白いさらし布を長々とたらし、片側を松の木に結びつけた。そうして母親や弟とともに布を伝って海に下り、待っていた家臣の小舟で親戚のいる伊豆へと逃れたという。

 崖のてっぺんから海までの高低差は三十七メートル。言い伝えが本当であるなら、少女の頃から肝の据わったひとだったことが窺(うかが)える。

 鴨川に住んでいた頃にもいろいろと耳にしたが、このあたりには歴史上の人物にまつわるこうした伝承がじつに多くて面白い。源頼朝とか、日蓮聖人とか、八犬伝でおなじみの里見氏とか……。

2024.12.20(金)
文=村山由佳
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年11・12月特大号