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どことなくフレンチ・カントリーの趣がある灯台

 前日訪れた野島埼灯台は広大な緑地の中に立っていたけれど、勝浦灯台は舗装された敷地の奥に、わりとこぢんまり佇んでいた。

 それもそのはず、何しろ岬の突端で、周囲はほぼ垂直に切れ落ちる崖だ。土地に余裕などない。そこをぎりぎり必要なだけ整地して基礎を作り、ほぼ灯台だけが立っているという状態。

 ふだんは手前の門扉(もんぴ)が施錠されており、ふらりと訪ねてきた人が近付くことはできない。それだけに、青空を背にして立つ純白の灯台は、黙って孤独に耐え続けているかのように凜として見えた。

 初点灯は大正六年、日本人の設計だそうだ。明治二年に千葉県で初めて建てられた野島埼灯台はフランス人技師の、明治七年に初点灯の犬吠埼(いぬぼうさき)灯台はイギリス人技師の設計だったが、県内三番目となる勝浦灯台の建つ頃には、日本にもようやくそれだけの技術を持つ技師が育っていたということなのだろう。

 高さ二十一メートルのすっきりと端正な八角形。少し離れて相対したとき、視界の中におさまるくらいのサイズ感が心地いい。

 丸い帽子をかぶったようなてっぺんにはシンプルな十字の風見が据え付けられ、外壁は全面が白いタイル張り。一つのタイルが三十ミリ角と小さいため、どことなくフレンチ・カントリーの趣がある。

 今現在の姿は昭和五十八年に改修されたものだそうで、記録によれば、第二次世界大戦の最中は何度も爆撃を受けたらしい。平時、沖をゆく船の安全のために役立つ灯台は、戦争の際には敵にとって最も不都合な存在になるということか。

 ああ、嫌だ嫌だ。この美しい空と海に、そういう恐ろしいものを持ち込まないでほしい。

 何しろふだんは上れない灯台だから、ここでも海上保安庁の方に付き添っていただいた。銚子海上保安部の桜川正人(さくらがわまさと)さん、挨拶を交わすより先に目の奥から笑いかけてくださる気さくなおじさまだ。

 施錠されている入口ドアを開け、螺旋(らせん)階段を三人で上ってゆく。狭いところをぐるぐる上るものだから途中で目が回る。

 昨日学んだフレネルレンズが、ここにも使われていた。おなじみ、薄緑の目玉おやじ。野島埼は第二等、こちらは第四等と、私より背が低いくらい小さめだが、分厚いレンズがブラインドのように重なる構造は同じだった。

2024.12.20(金)
文=村山由佳
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年11・12月特大号