この記事の連載
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イレギュラーな体験こそが旅の醍醐味
「ナビに住所入れて、言われた通りに走ってるんですけど」
編集長は困惑した様子で言った。
「案内される先が、なんか違ってて……」
折しもナビが、
〈目的地に到着しました〉
と高らかに宣言する。しかし窓の外を見やると、巨大な廃墟。おそろしく荒れ果てた七階建てのホテルだかマンションだかが、草の蔓に覆われ、濃紺の夜空を背景に黒々とそびえているだけだ。
再び国道へ出てやり直しても、また同じ廃墟へと連れて行かれ、
〈目的地に到着しました〉
……やだ、怖い。
とうとう、あたりを三周する羽目になった。この世ならぬものの力が働いて、私たちをなんとしてでもその廃墟に取り込もうとしているみたいに思えてくる。ホラー系の話がとにかく苦手な私はこの時点で全身鳥肌、ナビを一切無視することでようやく正しいお宿にたどりついた時には、今だから言うけれどちょっと泣きそうだった。残る二人も、後ろのトランクから荷物を下ろしながら、ひどく疲れた顔をしていた。
とはいえ、こういうイレギュラーな体験こそが旅の醍醐味(だいごみ)であることもちゃんとわかってはいるのだ。アクシデントとまではいかない、ハプニング程度の出来事。その時限りの特別な記憶がフックとなり、時間がたった後でもその前後のあれやこれやを引っ張り出してまた味わうことができる。
なまぬるくだらしない潮の香りや、浜辺の宿の枕元に夜通し届いていた波の音や、夜明けとともに黄金色に輝きだした海面の眩しさや……。
あの晩、三人で食べに出かけた地元のお寿司は、とてもとても美味しかった。
2024.12.20(金)
文=村山由佳
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年11・12月特大号