「今日もみんなよろしくね」

 つづけて、病棟看護師の中で一番の上司である看護師長の香坂椿さんがきた。雑談がぴたっと止み、空気が一瞬でぴりっとする。きつくひっつめた髪とつりあがった目元から、顔を見るとどうしても緊張してしまう。そして実際、現場でもかなり厳しい。でも、ここぞというときは力になってくれる頼れる人だ。

 私も挨拶をしながら香坂さんを見る。

 そのとき、いつもはない光景にぎょっとした。

 香坂さんのすぐ後ろに、ぴったりとくっついている男の人がいる。

 新しい職員が病棟見学に来たのだろうか。

 見学にしては、場違いなほど寄り添っている。何者だろう。

 いぶかしがりながらまわりを見ても、誰もその男性のことを気にしていない。

 思わずじっと見る。四十代くらいで、髪はぼさぼさ。陽に焼けた肌にTシャツというラフな服装は看護師には見えない。そこで私ははっと口元をおさえた。

 その男性は、うっすら透けている。

「思い残し」だ……。

 視るのは、二年ぶりくらいか。

「思い残し」は、私にしか視えない不思議な存在。患者さんが心残りに思っていること、受け入れられないものがうっすら透けて現れる。

「卯月さん、引き継ぎ始まりますよ」

 山吹に声をかけられて、あわてて「思い残し」から目をそらす。

「ごめん、ごめん」

 夜勤の看護師が引き継ぎを始める。それでも香坂さんのことが気になって仕方なかった。なぜなら「思い残し」は、患者さんが自分の死を意識したときに現れていたから。香坂さんのように健康で働いている人に視えたのは初めてだ。

 もしや、香坂さんも自分の命に何かしらの異変を感じているのか……。どこか体が悪いということだろうか。

「……ということなので、ここは先生に確認しておいてください」

 危ない。夜勤看護師の言っていることを聞き逃しそうになった。「思い残し」は気になるけれど、目の前の仕事に集中しなければならない。意識を切り替えて、私はしっかりメモをとった。

2024.11.08(金)