note主催の創作大賞2023で「別冊文藝春秋賞」を受賞した『ナースの卯月に視えるもの』(秋谷りんこ)が5月8日に文春文庫より発売されます! その第一話を全文無料公開!
五年目の看護師・卯月咲笑(うづき・さえ)は、夜勤の見回りをしていると、患者のベッドサイドに見知らぬ女の子を見つけ――。
1 深い眠りについたとしても
夜の長期療養型病棟は、静かだ。四十床あるこの病棟は、ほとんどいつも満床だというのに。深夜二時、私は見回りをするためにナースステーションを出て、白衣の上に羽織ったカーディガンの前を合わせる。東京の桜が満開になったとニュースで見たけれど、廊下はまだひんやりしている。一緒に夜勤に入っている先輩の透子さんは休憩に行った。
足音に気を付けながら個室の冷たいドアハンドルに触れる。ゆっくり引き戸を開けると、シュコーシュコーと人工呼吸器の音だけが響いていた。室内は暖かい。懐中電灯で患者の腹部をそっと照らす。音にあわせて腹部が上下する。呼吸器に近寄って、設定の値がずれていないことを確認する。患者の喉へつながるチューブも絡んだりしているところはなく、異常はなし。気管切開のカニューレ、喉と呼吸器をつなぐ部品に付けられたガーゼが汚れているから、ベッドサイドにあるゴム手袋を装着して交換する。ゴミを常設の袋に捨て、点滴の残量と滴下を確認し、刺入部を観察する。最後に室内をぐるっと照らして完了だ。ドアの横にあるアルコールで手を消毒してから、静かに廊下へ出る。夜勤の看護師の仕事は、確認の連続だ。
ここ青葉総合病院は、横浜市の郊外にある、このあたりでは一番大きな病院だ。入院病棟と外来があり、救命救急センターも設置されているし、手術も行う。訪問看護ステーションが併設されていて、地域との連携もしっかりしている。横浜駅から電車で三十分くらいと立地も悪くないうえ、周囲には自然も多い。
私が勤めている長期療養型病棟は、急性期を脱してからの療養に特化した病棟だ。在宅に向けてリハビリをしている人もいるが、病棟で亡くなる患者も多い。死亡退院率、つまり病棟で亡くなる患者が、一般的な病棟では八%程度なのに対し、ここは四十%と言われている。前向きにリハビリに取り組める状況にある人ばかりではない分、悟ったような、諦めたような気持ちで過ごす患者も少なくない。帰りたくても、病状や家庭の事情で帰れない人も多い。見守る家族にも、いろんな方がいる。
2024.05.11(土)