石井桃子は、幼年期を回想した『幼ものがたり』を《子どもの館》一九七七年四月号から翌年の五月号まで連載し、一九八一年に福音館書店から刊行した。
「まえがき」にはこう書いてある。〈幼い子どもの心に残ったものであるから、あるところはきれぎれであり、また、いまとなっては、真偽の保証もできないようなものだが、それを承知で、私はこれを書きとめておこうと思いたった〉。
私たちはこういう幼年期の回想記をいくつか持っている。『幼ものがたり』刊行の三〇年前に、幸田文が『みそつかす』を上梓した。『みそつかす』のさらに三〇年前には、中勘助の『銀の匙(さじ)』が単行本化された。
『幼ものがたり』の「まえがき」には、当時彼女の一家が住んでいた旧浦和宿の家の間取図が描いてある。〈井戸〉〈鳥小屋〉〈外便所〉〈ウサギ小屋〉〈かまど〉〈大釜〉などの具体的な位置が示してあって興味深い。
『幼ものがたり』は全部で約七〇篇の断章から構成されていて、主題別に章立てされている。本書の第一章「『幼ものがたり』より」はそのうちの二六篇を収録している。本巻での掲載順は変わっていない。
最初の「『どっちがすき?』」から「ねずみ」までの四篇は、冒頭の「早い記憶」の章から採られている。ここで石井桃子は意識の海面から、自分のいちばん古い記憶にむかって錨を下ろしていく。
錨が海底に届いたところで、こんどは家族のことへと話題が進む。「祖母」から「もっこに揺られて」までの一二篇は「身近な人びと」と題された章から。
これは明治末年のことだから、この言葉で私たちが考えるような核家族ではもちろんない。〈まあちゃん〉のような、ひとことでは位置づけにくい関係の人――まあちゃんは、父のいとこだということが〈大きくなるにつれ、いつとはなしにわかって〉くる――が同居している、もう少し大きくて流動的な共同体なのだ。
長い時間を生きていない子どもにとって、家族という概念はまだ「時間」のなかでとらえられていない。家族とはなによりまず関係だ。そして他人ではあっても、どこか自分というものの空間的な延長としての性質を持っているものなのだ。
2024.05.10(金)
文=千野帽子(エッセイスト)