宇野千代は、八十歳を迎えて刊行された自身の全集(一九七七~八、全十二巻、中央公論社)の最終巻の「あとがき」を、次のように結んでいる。
私は自分のことを、小説家ではなく、随筆家かと思っている、と書いたが、小説であれ、随筆であれ、確固たる哲学的思惟なしに書けるものかと言う気がする。この点で自分は、文学者として欠格かと思うと、まことに肌寒い思いがある。
「確固たる哲学的思惟」を持たない自身を「文学者として欠格」として「肌寒い」と言うネガティブな宇野千代は、今日の読者にいささか意外な感じを与えるかもしれない。宇野千代とは、最晩年の随筆集『私何だか死なないような気がするんですよ』(一九九五、海竜社)のタイトルに集約されるように、生死をも超越した天衣無縫にして融通無碍(むげ)の境地を拓いた存在として記憶されているからである。
しかしながら、はなから天衣無縫で融通無碍なひとに文学が必要なはずはない。また、百年近く生きたひとの歩みを、晩年のイメージを溯及させて解った気になるのも的外れな話であろう。宇野千代を、世間に流布する超越的な存在としての「宇野千代」像から解放するためには、「文学者」を目指しながら、結果的に唯一無二の「宇野千代」になったひととして捉え返す、何らかの工夫が必要である。
宇野千代は、一九二一年、「時事新報」の懸賞小説に応募した初めての短編「脂粉の顔」が一等当選し、文壇にデビューした。この時の筆名は、「藤村千代」――従兄である藤村忠と結婚し、北海道に暮らしていた。その三年後には、藤村忠と離婚して宇野姓に戻っていることを思うと、文学者・宇野千代のスタートが、戸籍名として宇野千代でなかったときに切られているのは興味深い。「脂粉の顔」とそれに続く「墓を発(あば)く」(一九二二・五、「中央公論」)で得た自信によって、文士として生きて行く決心をした一人の女性は、親から与えられた姓名を改めて択び直して、宇野千代になったのである。田村俊子しかり、宮本百合子しかり、近代女性作家たちの多くが、名前を択び直して文学的出発(あるいは再出発)しているのと重なることでもある。
2024.03.13(水)
文=金井 景子(早稲田大学教授)