大庭みな子は三七歳の時に『三匹の蟹』(「群像」昭四三・六)で第五九回芥川賞を受賞し、小説家として華々しいデビューを飾った。受賞当時は、夫の赴任先であるアラスカに住んでいたが、昭和四五(一九七〇)年に日本に帰国し、本格的に執筆活動を開始した。その後、小説だけでなく随筆も精力的に執筆し、アラスカから日本に帰国する前後の様子を語った第一随筆集『魚の泪(なみだ)』(中央公論社、昭四六・四)以降、晩年に至るまで、数多くの随筆集を残している。
彼女の小説世界は、思い通りにならない現実に苛立ち、互いの関係性が築けずに葛藤し、すれ違う、無数の夫婦や恋人、親子の声に満たされている。様々な声の響き合いで築き上げられた多声的で幻想的な空間が作り出されることで、立体感をもった小説世界が展開されていく面白さがある。随筆にもそうした創作の流れを汲んだ幻想的なものや構成的なものがあり、創作との境界線を曖昧にして越境する独特の世界観を楽しめるものがある。本書の「I 結婚は解放だった」に収められた「青い鳥」などはまさにそうした好例だろう。
その一方で、自身の生活や思想について歯切れの良い口調で明晰に綴られた随筆も多い。それらの随筆では、ときに挑発的に、ときにユーモアを交えて、刺激的な男女観、家族観、文学観が率直に語られる。そこには小説とは異なるストレートさと力強さが宿っている。「幸福な夫婦」などはそうした随筆の代表と言っていい。日本の離婚率が徐々に上昇傾向に転じ始めた一九六〇年代以降を時代背景として、「幸福な結婚とはいつでも離婚できる状態でありながら、離婚したくない状態である」と述べている。ここには、既存の制度や価値観に縛られずに男女が自由に惹かれあうことを自然視する、大庭みな子の思想がよく表われている。
「男と女」でも「世界の人口の男女の比率はほぼ同数で、現存する結婚制度が合理的か不合理かということは別問題としても、男と女がお互いに相手のことを考えなければ人生は成り立たない」と主張されるが、それは単純な異性愛主義とは異なるものだ。大庭文学は、自然の摂理を重視する『老子』の思想を内面化しながら、異質なもの同士がつながりあった先にある〈共生〉を一貫して志向しており、随筆でもその姿勢が貫かれている。
2024.03.06(水)
文=遠藤 郁子(石巻専修大学教授)