武川佑の長編デビュー作『虎の牙』を読んだ時の衝撃は、今もよく覚えている。
武田信玄の父、信虎の弟でありながらその生涯はほとんどが謎に包まれ、世間的にもほぼ無名な勝沼信友を主人公に、山の民、山岳信仰といった『もののけ姫』的オカルト風味も交えて戦国中期の殺伐とした世界を活写してみせたその手腕は見事なもので、特に合戦シーンの解像度の高さには驚かされた。血の臭い、土の臭いまで漂ってきそうなほど臨場感にあふれた合戦シーンは、まさに新人離れしている。「これは末恐ろしい作家が現れた」と、同業者として危機感を覚えたものだ。
果たせるかな、武川佑は『虎の牙』で歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞すると、続く長編第二作の『落梅の賦』でも武田信友(こちらは信玄の弟)、穴山梅雪という二人の武将を軸に武田家の滅亡を描き、新たな戦国小説の書き手として注目を集めるようになった。
その武川佑が三冊目に上梓したのが本作『悪将軍暗殺』である。主人公は実在の人物ではなく、架空の少女。時代は戦国から遡って室町中期、南北朝時代と戦国時代に挟まれた、教科書でもあまり取り上げられないマイナーな時代だ。
饅頭を売って暮らす少女・小鼓はある日、故郷の町を焼かれ、片腕まで失う。その原因を作り、同時に彼女を救ったのは、青蓮院の高僧・義圓――後にくじ引き将軍と称され、“万人恐怖の世”と呼ばれる時代を作り出した第六代将軍・足利義教だった。多くのものを失った小鼓は、行方知れずとなった父から教わった兵法に己の生きる道を見出し、戦場へと飛び込む。
このあらすじだけでも、過酷なストーリーになるであろうことは容易に想像できる。作者がよほどの覚悟をもって向き合わなければ、「ハンデにめげず努力した主人公は、本当の幸せを見つけました」的な、凡庸な物語にもなりかねない。
もちろん、その心配は杞憂に終わった。物語の筋自体は過酷なものだが、親しみやすいキャラクターと疾走感のある筆運びで、“重たい”小説にはなっていない。馴染みのない時代が舞台でも、歴史小説にありがちな小難しい説明が延々と続くようなことはなく、すんなりとこの世界に入っていける。読者は小鼓とともに中世の戦場を駆け、彼女の流転の運命に一喜一憂し、大きな満足感を抱いて本を閉じることになるだろう。
2024.03.04(月)
文=天野純希(小説家)