この随筆集に収録された三十一篇のうち、三分の二にあたる二十篇が、一九六〇(昭和三十五)年から六九年までに書かれたものです。この十年は、全学連と全共闘の政治的闘争が繰り広げられ、キューバ危機が起き、ベトナム戦争があり、戦後の歴史のなかでも政治を意識せずにはいられなかった激動の時代です。倉橋由美子にとっても二十四歳から三十四歳までにあたるこの十年間は激動の時代でした。
六〇年一月、第四回明治大学学長賞を受賞した「パルタイ」が〈週刊明治大学新聞〉に掲載され、二月に「文學界」(三月号)に転載されて倉橋は華々しいデビューを飾ります。そして「貝のなか」(「新潮」五月号)、「非人」(「文學界」五月号)、「蛇」(「文學界」六月号)、「婚約」(「新潮」八月号)、「密告」(「文學界」八月号)と立て続けに短篇を発表していきます。清楚で品のよい作家の佇まいと硬質でときに過激かつグロテスクな作品とのギャップ、当時としてはまれな女性の大学院生という立場が注目され、若者たちの憧れの的になり、ここに「作家・倉橋由美子」が誕生しました。この一年間に雑誌などに掲載された短篇は九篇、エッセイは十一篇です。第一部に収められた「政治の中の死」は、六月十五日に安保反対を主張する全学連のデモ隊が国会議事堂に突入した際、デモに参加していた東大生の樺美智子が死亡したことを受けて書かれ、〈週刊明治大学新聞〉に掲載されたものです。
六一年には短篇を六篇と、初めての長篇小説であり、二人称の文体が話題となった『暗い旅』(東都書房)を発表します。そして『パルタイ』で第十二回女流文学者賞を受賞。六二年二月に父が五十三歳で急死したことをきっかけに、退学して生まれ故郷の高知県に帰ります。第三部の「田舎暮し」はこのころに書かれたものですが、牧歌的に見えるエッセイのなかにも、「他者とのたたかいと対話とが『自分』という空洞をつくっており、孤独とはこの空洞のことをさすのかもしれません」という倉橋ならではの一文が入っています。
2024.04.23(火)
文=古屋 美登里(翻訳家)