六三年にも精力的に短篇を発表し続け、「その作家活動に対して」第三回田村俊子賞を受賞。第三部の「ある破壊的な夢想――性と私――」「女と鑑賞」はこのころに書かれました。前者で示された「ユートピア」の姿は、まことに挑発的で新しい発想でした。

 六四年には、第一部「性と文学」、第三部「性は悪への鍵」「誰でもいい結婚したいとき」が書かれています。「三十歳を越えて独身でいる人間は例外なく知的である」(「ある独身者のパーティー」)というチャーミングな言葉を残したのはこのころでした。この年の末に二十九歳で結婚。

 六五年に入ると著しく体調をくずしましたが、そんななか、近親相姦(インセスト)をテーマにした時代の先端をいく長篇小説『聖少女』(新潮社)を発表。「いま、血を流しているところなのよ、パパ」というフレーズは多くの女性たちに衝撃を与え、文学少女のバイブルとなった一冊です。第一部「純小説と通俗小説」、第二部「『倦怠』について」「『綱渡り』と仮面について」、第三部「妖女であること」はこの年に書かれました。

 六六年六月、フルブライト奨学金を得て渡米。アイオワ州立大学大学院のクリエイティヴ・ライティングコースに入学。渡米前に書かれたのが第一部「インセストについて」、「小説の迷路と否定性」、アイロニーとユーモアに満ちた「毒薬としての文学」、第二部の「青春の始まりと終り――カミュ『異邦人』とカフカ『審判』――」です。「小説の迷路と否定性」では、KやLという記号を使った自作について手の内を明かし、「小説とは、《ことば》によって、またあらゆる非文学的な要素を自由に利用して、《反世界》に《形》をあたえる魔術である、あるいはその《形》が小説である」と述べています。また、三十歳以降は「老後」であるとし、「《世界》に毒をもり、狂気を感染させ、なに喰わぬ顔をしながら《世界》の皮を()ぎとったり顚覆(てんぷく)させたりすることをくわだてる文学」をめざす(「毒薬としての文学」)、という言葉は実に印象的です。

2024.04.23(火)
文=古屋 美登里(翻訳家)