『白光』(朝井 まかて)
『白光』(朝井 まかて)

 何でもいいから、大好きなことを見つけるように。……と、大人が若者に口を酸っぱくして言うのが、今の時代である。あまりにも「好きになれ」「夢中になれ」と言われるので、若者達の中には、

「好きなものを見つけられなかったらどうしよう」

 とのプレッシャーにさいなまれる人も存在するほど。

 好き、という感覚を極めることによって、おのずと人生の方向性は定まってくるし、つらいことがあっても、乗り切ることができる。また、百年続くという長い人生を充実させるにも、好きになる力は重要なのだ。……ということから、今は若者のみならず大人も「好き」を追い求めるのだが、しかしこの“好き力”とでも言うべきものが重視されるようになったのは、さほど昔のことではない。

「好き」は、ごく個人的な感情である。“好き力”を発散させることによって、満足したり快感を得たりするのは、自分以外の何者でもない。

 しかし性別や身分によって役割が決まっていた時代は、「好き」という気持ちを自由に発散させることはできなかった。好きな相手ではなく、親の決めた相手と結婚するのが当たり前。好きなことを仕事にするのではなく、親の跡を継ぐなど、決められた道を進むのが当たり前、というように。

 女性に関して言えば、結婚して夫を支え、子供を産み育てることがほとんど唯一の生きる道だったのであり、そこに個人的感情を介入させる余地は存在しなかった。日本女性の“好き力”は、第二次世界大戦が終わってから、少しずつ解放されてきたのだ。

 かつての女性にとって“好き力”は、人生の邪魔にこそなれ、役に立つものではなかった。しかしそんな時代にも自身の尋常でない“好き力”を生かし、その力と共に人生を歩んだ女性が存在したことを示したのが、本書である。

 山下りんは安政四年、笠間藩の下級藩士の家に生まれた。明治となって世は一新されるも、りんが何か口を開けば、

「こいつぁ驚いた。りんが己の意見を述べおった」

2024.04.18(木)
文=酒井 順子(エッセイスト)