ニコライ大主教もまた、彼女のその過程を見守っていた。「聖なるもの」とは、「純なる簡潔さ」。その真実にりんが触れるまで、ニコライ大主教は静かに待ち続けたのであり、本書のページの端々からは、信仰に生きる人々の深い優しさが伝わってくるのだった。
山下りんは、早すぎる時代に生まれた「好き」の人だった。そんな彼女の人生を伝えることは、“好き力”が重視される今の世の人々にとって、強いメッセージとなるに違いない。「好き」という気持ちを強く持ち続ければ、人生は拓けていくこと。自分の気持ちをはっきりと口に出せば、軋轢は生じても、状況を変化させられること。そして「好き」を突き抜けた先には、もっと大きな何かが待っていること……。
同時にりんの人生には、日本という国のあり方と重なる部分が見られる気がしてならない。明治になって国が開かれると、欧米列強の技術や文化を盛んに取り入れていった日本。同じようにりんも、西洋画に適性を見出され、キリスト教と出会い、やがて西洋美術を学ぶべくロシアへ留学する。しかし日本もりんも、西洋の文化を一気に取り入れて急成長する一方で、成長痛や、様々なひずみを抱えることになるのだ。
りんは、「もっともっと」と西洋画の技法を修得しようとしたが、思い通りにはならず、ロシアで苦しむことになった。それは我執であるとの客観的視点を得ることによって彼女はやがて解き放たれたが、しかし日本という国は、どうだったのか。本書には、国際社会にデビューして「もっともっと」と貪欲になる日本の姿も描かれるのであり、列強に負けじと領土拡大を目論むと、やがてはロシアとの戦争に突入。昭和になるとこの国は、さらに大きな戦争を起こすことになるのだ。
江戸時代の終わりに生まれたりんは、いわば日本の近代史に沿うように一生を過ごした女性である。「好き」のために生きたりんは、「好き」の時代に生きる私達に人生とこの国とを見つめ直すきっかけを与えるのであり、山下りんを小説の主人公として選び、膨大な資料を丹念にあたってその生涯を描き切った著者の視線と手腕に、感服するばかりである。
信仰とは何か、聖なるものとは何かを、りんが長い時間をかけて理解をしていったように、朝井まかてさんが本書に込めた思いは、ゆっくりと読者の胸に浸透する。ページを開くたびに新たな視点を与えてくれるこの本を、私はこの先も読み返すことだろう。
白光(文春文庫 あ 81-2)
定価 1,056円(税込)
文藝春秋
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2024.04.18(木)
文=酒井 順子(エッセイスト)