聖堂の天門に掲げられた聖画は、ロシアでりんにギリシャ画の模写を指示したフェオファニヤ姉が描いたものである。その絵からは、絵を描いた時の姉の苦労や、絵画技術の巧拙などは、全く感じられなかった。その絵からもたらされるのはただ、「日本の信者たちへの祈り」のみ。
りんはその時、自分が真の信仰を持っていないことを悟り、涙を流す。自分は西洋画の技法を身につけたいがためにロシアに赴いたということ。そしてそのことをロシアの修道女達はわかっていたということに、りんは気づくのだ。
自分が持っているのは神や他者への思いではなく、「巧くなりたい、才を伸ばしたい」という我執。であるならば、自分は教会にいる資格は無い。……と、一度は教会を去るりん。
しかし彼女は、再び教会に戻る。真の信仰は持たなくとも、筆を通じて教会の役に立つことができれば、と再び聖像画を描くようになるのであり、彼女はやがて自身の若い弟子にも、ギリシャ画の模写を命じるようになるのだ。
絵を描きたい、巧くなりたい、の一心で人生を突っ走ってきたりんにとって、信仰によって描かれたフェオファニヤ姉の絵と自分の絵との違いを知ることは、強い衝撃となる。しかしそれは同時に、彼女にとって深い恵みともなったのではないかと、私は思う。
自分の「好き」を突き詰めていく人は、「それだけでいいのか」との思いに見舞われることがある。ふと客観的になった時に、自身の欲だけを追い求めることへの疑問が生じるのだ。
りんもまた、フェオファニヤ姉が描いた聖画を通じて、自身の真の姿を見ることになった。彼女はその衝撃によって、他者のために絵を描くことになるのであり、それは彼女にとってロシアへ行ったことよりも、大きな転換点となったのではないか。
自身が描いた聖像画の多くには、描いた個人が特定できるサイン等をりんが入れなかったという事実は、彼女が「我」から離れて絵を描いていたことを示していよう。彼女は、自分を知ることによって、自分から離れたのだ。
2024.04.18(木)
文=酒井 順子(エッセイスト)