どのエッセイでもこの率直さはきわだっていて、それが独自のアイロニーを生みだしています。倉橋のエッセイは、読み手の感情を揺り動かすのではなく、脳細胞に直接刺戟を与えるたぐいのものです。そしてその刺戟を与えるのにもっともふさわしい文体、中村光夫と吉田健一の影響が窺える文体を確立しました。いま読み返してみても、理路整然とした論調と文章の切れ味には驚嘆します。

 第一部の最後に収められた「あたりまえのこと」は『あたりまえのこと』(二〇〇一年 朝日新聞社)の刊行にあたって書かれた単行本未収録のエッセイです。「遠からず鬼籍に入る前の各方面への御挨拶」として列挙した「長篇に関するルール」を読むと、死を意識した倉橋が創作の秘密を披露したように受け取れますが、理想の小説の姿を伝えるという使命感で書かれたようにも思えます。倉橋は亡くなる間際まで文学者としての姿勢を貫きました。

 三十一篇のエッセイを改めて読んで、倉橋由美子はヨーロッパの近代的自我を日本で初めて成熟した形で持ちえた女性作家だという思いを強くしました。「日本文学全集に出てくるような日本の小説は中学と高校で大体読んでいた」(「倉橋由美子自作年譜」)倉橋は、その後大学に入ってフランス文学をはじめとする西洋の文学に浸り、「わたし」の内や外にある「他者」の存在を明確に意識し、物のとらえ方、考え方、コモンセンスに至るまで身の内に取りこみました。その結果、初期作品では、知的で冷静な視点、客観的で論理的な文章、多彩な比喩といった武器を手に、新しい小説を切り拓いていきました。そして古典作品の影響を色濃く受けた後期作品では、研ぎすまされた文章の美しさ、優雅さ、官能性によって比類のない世界を生みだしました。初期と後期で作風が一変したように見えるかもしれませんが、表現の方法を探求する倉橋の文学的姿勢は全作品を通して変わることはありませんでした。

「『綱渡り』と仮面について」で倉橋はこう書いています。「わたしにはエッセイの文体で自己表現することはできません。いや、エッセイの文体で表現できる『わたし』なんか、そもそも存在しないというべきでしょう。存在するなら殺すべきです。わたしにとっては小説だけが表現の方法なのです」

 いかにも倉橋らしいシニカルな言い回しですが、今回編まれたエッセイ集からは、多くの小説を生みだした作家・倉橋由美子の強靱な一個の精神のありようがありありと浮かび上がってきます。

精選女性随筆集 倉橋由美子(文春文庫 編 22-7)

定価 1,100円(税込)
文藝春秋
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2024.04.23(火)
文=古屋 美登里(翻訳家)