つづいて、「雪の日」「夏の遊び」「指」の三篇は「四季折々」という章から採られた。季節とは、循環して繰り返す時間だ。世界各地の神話を創り出したこういう時間のことを、カイロス的時間と呼ぶ。時間のカイロス的な側面は、年中行事や季節感によって区切られる。この三篇は、雛祭を題材とした石井桃子の童話『三月ひなのつき』(一九六三)と併せて読むものなのかもしれない。

 自分を中心とする空間としての家族、循環するカイロス的な時間、いずれも自己意識の文脈に依存した直示(ダイクシス)的・転換子(シフター)的な認識のありようだった。直示とか転換子とかいうのは、「私」「あなた」「いま」「きのう」「むかし」「来年」といった、発話者の立場によって指すものが変わる表現のことだ。

『幼ものがたり』のフラグメントの配列は、こういった直示的世界から、地図的な空間把握および年表的な時間把握へと進んでいく。「Kちゃん」から「遠い隣」までの四篇は「近所かいわい」という章に収められたものだ。〈田中さん〉の家とか〈伊勢屋〉といった固有名は、発話者の立場から独立して対象を指し示すためのものだ。つまり、転換子的な世界認識から、固有名による世界認識へと、ここで変化している。

 最後の三篇は「明治の終り」という章から。ここにあるのはカイロス的時間ではもはやない。繰り返さずに一直線に進み、ニュースや歴史といった形で外から指示される、クロノス的な時間である。

『幼ものがたり』の語りの手際は、たんに焦点がくっきりしているというのではない。石井桃子の文章は、記憶の曖昧さを曖昧さのままに提示できる。さらに今回改めて読んでみて、章立てが律儀なまでにシステマティックであることに驚いた。明晰で、幼い心が世界を把握していく段階を再構成するかのようだ。この明晰さがこの人の文章の味わいなのではないか。

 石井桃子の創作や文章から編んだ選集『石井桃子集』全七巻が、一九九八年から九九年にかけて岩波書店から刊行された。第三巻までが創作(絵本テクストを含む)、第四巻が先述『幼ものがたり』、第五巻が『新編 子どもの図書館』、第六巻が『児童文学の旅』、第七巻がオリジナル編集の『エッセイ集』となっている。最新作だった長篇小説『幻の朱(あか)い実』(一九九四)は収録されていない。

2024.05.10(金)
文=千野帽子(エッセイスト)