血圧計、体温計、パルスオキシメーターなど必要なものをカートにのせて、廊下を早足で歩く。まずは、今日の担当患者さんのひとり、繁森菊代さんの部屋へ入った。九十八歳の女性で、慢性的な心不全で入院している。
「えっと、どなたさまだったかしら」
小柄な体にかわいらしい花柄のパジャマを着ている。髪は白髪交じりだけれど、艶があってきれいだ。
「看護師の卯月です。今日の担当なので、よろしくお願いしますね」
鼻のカニューレから流れている酸素の量を確認しながら挨拶をする。
「ああ、看護師さんね。卯月さん。こちらこそ、よろしくお願いします」
ゆっくり頭をさげるしぐさは上品で、誰にでも言葉遣いが丁寧。いつもにこやかで、こんな風に年を重ねられたらすてきだなあと思う。
バイタルサインを測定する。発熱はなく、血圧も安定している。
ただ心不全の状態はあまり良くなく、年齢的にももう改善は見込めない。少し動くと、呼吸が苦しくなってしまう。繁森さんは、酸素を吸いながら、残された時間をできるだけ穏やかに過ごす時期にいる。軽い認知症はあるものの、ご自分の病状は理解できている。それでも、取り乱したり落ち込んだりはしていない。
「今日もいいお天気ですよ」
繁森さんのベッドからは外がよく見える。病院の前の街路樹に陽光が注ぎ、きらきらと光っていた。
「本当ね。初夏って、いい季節よね」
九十八年生きるとどんな気持ちなのか、私にはまだわからない。
「何かありましたら、ナースコールしてくださいね」
声をかけてベッドを離れる。繁森さんは、遠い記憶に思いをはせるような表情で、窓の外を眺めていた。
お昼の時間になり休憩室に行くと、新人の北口がテーブルでひとり背中を丸めていた。
「おつかれ」
私が部屋に入ってきたことに気づいていなかったらしく、ひどく驚いた様子で顔をあげた。
「あ! 卯月さん、お昼お先です」
おにぎりをほおばりながら参考書を見ていた。すでに空の包装フィルムが三袋散らばっている。
2024.11.08(金)