プリセプターと新人のやりとりを、「うんうん、そのとおり」と内心でうなずきながら聞いている。ひとつの病気だけを見ていては視野が狭くなり、良い看護にはつながらない。

「全体像……ですか」

「そうだよ。“下半身麻痺の人”じゃなくて、“岡田さん自身”を見なきゃ」

 北口は、眉を八の字にして考えこんだ。

 医者は病気をみるけれど、看護師は人をみる……とは、よく言われることである。

「あとで岡田さんのカルテ見直してね。今はとりあえず、ちゃんとごはん食べよう」

「……はい」

 北口は参考書をしまって、おにぎりをもぐもぐした。

 “根拠の鬼”も、心まで鬼ではないようだ。

 あまりに厳しいことしか言わないようなら少し声をかけたほうがいいかな、と思ったけれど、今は二人の関係性にまかせよう。

 缶コーヒーをかたむける遠野としょんぼりした顔でおにぎりをほおばる北口の背後には、大きな窓がある。若い二人が、初夏のまぶしい光にさんさんと照らされていた。

 午後の面会時間になると、病棟がにわかににぎやかになる。病室で意識のない患者さんに話しかけるご家族、自分では動けない患者さんを車椅子に乗せて談話室から外を眺めるご家族。会社の同僚が来てくれる患者さんもいれば、なかなか会えない遠い親戚が面会に来ることもある。

 入院している患者さん自身はひとりだけれど、そこから枝葉のように人間関係が伸びていくのをいつも想像する。ドラマや映画の人物相関図よりも、実際の世界はもっとずっと複雑で、入り組んでいるのだろう。

 その人が生きてきた人生のぶんだけ、人との関係は網の目のように遠くまで届いている。

 ひとりで生きている人など、いないのだ。

「卯月さん、こんにちは」

 繁森さんの体の向きを変えていると、部屋にひ孫の桃ちゃんが来た。

 曾祖母にあたる繁森さんのことが大好きらしく、しょっちゅう面会に来ている。低い位置に結ったツインテールがつやつやしていて、スカートからは健康的な足がすらっと伸びている。たしか小学三年生といっていた。ひとなつこい笑顔のかわいい女の子で、ナースステーションの人気者だ。

2024.11.08(金)