ミュージシャンとしてのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて親交を重ね、交遊してきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズがスタート。なお、この連載は、白洲正子が気心の知れた男性たちと丁々発止の対談を繰り広げた名著『おとこ友達との会話』(新潮文庫)にオマージュを捧げ、そのタイトルを借りている。
最初にお迎えしたゲストは、日本を代表する芸能プロダクション、ワタナベエンターテインメントを率いる代表取締役社長の渡辺ミキさん。戦後の芸能ビジネスのシステムを一から築き上げた渡辺晋・美佐夫妻の間に生まれた彼女は、いかにして王朝を継承し、さらなる発展をもたらしてきたのか。その秘密に鋭く迫る。
「東京とは違う横浜の夜の魅力を教わった」(渡辺)
渡辺 近田さん、お久しぶりです!
近田 本当に久しぶり! こうやってミキちゃんとゆっくり話すのって、何十年ぶりのことだろう。
渡辺 私が初めて近田さんにお会いしたのは、恐らく、近田さんがザ・スーパーマーケットのメンバーだった頃だと思います。
近田 はいはい、「谷啓とザ・スーパーマーケット」ね。「ハナ肇とクレージーキャッツ」の谷啓さんが1975年に結成したこの大所帯バンドに、僕はキーボード奏者として参加してたんだよね。「笑って!笑って!!60分」(TBS系)や「おはよう!こどもショー」(日本テレビ系)にも出演しましたよ。
渡辺 あの当時の近田さんといえば、本業のミュージシャンとしてのみならず、テレビの司会やラジオDJなど、ジャンルを超えた活躍ぶりで、すごいカリスマでしたよね。まだ、いわゆるサブカルっていう概念は世の中に存在しなかったけど、まさにその先駆けと呼ぶべきトップランナーだったと思います。
近田 いやいや、器用貧乏の最たるものでしたよ(笑)。
渡辺 仲良くなってからは、よく近田さんに横浜の夜の街を案内していただきましたよね。どの店も、カジュアルでリーズナブルなんだけど、面白くってカッコよくって美味しかった。東京とは違う魅力を教えてもらったことを鮮烈に覚えています。
近田 知り合った頃のミキちゃんというと、まだ渡辺プロダクションに入る前で、歌手としてジャズを歌ったり、役者としてミュージカルに出たりしてたという印象がある。
渡辺 そう。まだ大学を出たての20代半ばで、とりあえず出役もこなしながら、ミュージカル制作の方法を模索していました。その頃の仲間には、宮本亜門(※現在は亞門)さんや五十嵐薫子さん、ラッキィ池田さんがいましたね。
近田 みんな、その後、それぞれ名を成したんだから大したものだよね。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword










