「自分は本当につまらない人間だと思っていた」(渡辺)

渡辺 昔は、今みたいに深夜まで開いてる飲食店がそう多くはなかったじゃないですか。だから、必然的に会食の場所がうちになる。たとえ何時に訪れても、お手伝いさんの作った食事がさっと出てくるから、24時間営業と呼ばれてました(笑)。打ち合わせしながらご飯を食べて、その後は飲んだり麻雀したりとか。

近田 不夜城だったのね。

渡辺 だから、中尾ミエちゃんが言ってました。「渡辺家にやって来るいろんな人たちの話をただ小耳に挟んでるだけで、もうすぐこんな番組やあんなレコードができるんだなってことが分かった」って。

近田 各社の会議室じゃなく、渡辺邸でさまざまなことが決まってたんだね。

渡辺 夜中に1階に下りちゃいけないってこととともに、祖母にはこう言われたものです。「パパもママも、ミエちゃんたちも、それからうちに来るお客さんたちも、特別な仕事をする特別な人たちなんだから、ミキちゃんは同じような意識でいちゃいけないよ」って。すごく真面目に育てられました。

近田 ああ、今のミキちゃんを見ても、そんな風に育ってきたことは想像つくよ。

渡辺 子ども心に、輝いてる人って分かるじゃないですか。たとえ顔と名前が一致しないスタッフさんでも、この人は生き生きとしていて才能にあふれてるということが自然に伝わってくる。私、素敵な大人にしか会ってないから、子どもの頃から、ものすごくコンプレックスを感じていたんですよ。自分は何者でもない、本当につまらない人間だなって。

近田 うっかり渡辺晋・美佐夫妻の子として生を享けちゃったら、誰だってそう思うよ(笑)。渡辺邸に出入りする人材以前に、両親からして才能の塊なわけだから。

渡辺 ええ。特に母の美佐は、クリエイティブで綺麗でカッコよくて、そしてわがままで、もう、私なんかにとっては、とてもお手本にすらならない女性でした。

近田 渡辺プロダクションの名誉会長を務めている美佐さんは、97歳の現在もお元気なんですよね。

渡辺 はい。しっかり自分の足で歩いております。

近田 素晴らしいねえ。

渡辺 日々、いろいろと教えてもらっています。何かと勇気をくれる存在ですね。

近田 なるほど。次回は、ミキさんが家業であるエンターテインメントの世界に足を踏み入れる時期のことを中心に、話を聞いていきたいね。

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渡辺ミキ(わたなべ・みき)

1960年、東京都生まれ。ワタナベエンターテインメント代表取締役社長。渡辺プロダクションの創設者、渡辺晋・美佐夫婦の長女として生まれる。日本女子大学在学中に舞台デビュー。1986年、渡辺プロ系列の渡辺エンタープライズ社長に就任、翌年、渡辺プロに取締役として入社。自らもプロデューサーとして辣腕をふるう。現在は、ワタナベエンターテインメント代表取締役社長のほか、渡辺プロダクション代表取締役会長、渡辺音楽出版代表取締役などを務める。

近田春夫(ちかだ・はるお)

1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、半世紀を超えるキャリアを総覧する『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。

Column

近田春夫の「おんな友達との会話」

ミュージシャンのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて交遊を繰り広げてきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズがスタート。なお、この連載は、白洲正子が気心を通じる男性たちと丁々発止の対談を繰り広げた名著『おとこ友達との会話』(新潮文庫)にオマージュを捧げ、そのタイトルを借りている。