「そうね。私より度胸のある子だったから、ドキドキしてたかな」
大変じゃない新人教育なんてないのだ。みんな、不安と葛藤とプライドをもって入職してくる。看護学校で学んだことと実際の病棟では、違うことも多い。学生とは比べ物にならないほど忙しいし、責任も重い。新人たちも必死だろう。
「卯月さんに話聞いてもらって、ちょっとすっきりしました。卯月さんのプリ子よりは、北口のがまだ私には合っているかもです」
加藤が意外なかたちで役に立ったようだ。本人は釈然としないだろうけど。
「またなんかあったらちゃんと話してね。私だけじゃなくて、山吹もプリセプター経験者だし、御子柴さんも話聞いてくれるから」
「はい。ありがとうございます」
お弁当を食べ終えて、遠野はうーんと伸びをした。
暮れ始めた空を、ツバメがすーっと横切って飛んで行った。
「みなさん、ちょっといいですか」
朝の引き継ぎが終わるころあいに、主任の御子柴さんがナースステーションの真ん中で立ち上がった。
みんな手をとめて主任を見る。
「突然のことですが、今日からしばらく香坂師長さんがお休みになります」
「ええ!」
思わず声を出してしまった。師長さんは病棟業務以外でも仕事が多いから、朝の引き継ぎの時間にいないことは珍しくない。だから何とも思っていなかったけれど、まさかお休みとは。
みんなざわざわしている。でも、この中で「思い残し」の男性を思い浮かべているのは私だけだろう。何かあったのだろうか。嫌な予感がふつふつとわいてくる。
主任は私たちのざわめきがおさまってから、穏やかに続ける。
「実は、香坂さんにご病気が見つかりました。何週間か前にわかっていたようですが、今回手術することになり、病欠になります」
御子柴さんはいつもの冷静な表情で私たちを見渡した。
手術……だから「思い残し」が視えたのか……。
そんなに悪いのだろうか。命に関わるということ?
「香坂さんが不在のあいだは、僕が代理になります。何かありましたら、遠慮なく相談してください。香坂さんが安心して治療にのぞめるように、病棟は僕たちで守りましょうね」
2024.11.08(金)