「おかえりなさいませ、お嬢さま」

 玄関扉を開けると、奥から出てきた老女が奈緒を迎えた。

 昔から深山家に仕え、幼い頃に母を亡くした奈緒と兄を育ててくれた女性なので、他にも女中はいるが彼女だけは別格扱いをされている。

「ただいま、ばあや」

 挨拶を返し、持っていた風呂敷包みを渡す。人の好いばあやはニコニコしながらそれを受け取った。

「どうですか、東京の女学校にはもう慣れましたか」

「ええ、もうすっかりね。同級生のみなさんも良い方ばかりよ」

 下級生からおねえさまと呼ばれているのは黙っていよう。なんだか変な心配をされてしまいそうだ。

「お父さまは、まだしばらくこちらには来られないのよね?」

「そうですねえ、横浜でのお仕事がなかなか片付かないようで。せっかく新しいお家を建てたのに、まだ一度も寝起きしていらっしゃらないなんてお気の毒な話ですよ。お嬢さまもお寂しいでしょう」

 昔から商品の買い付けなどで頻繁に外国へ行って、滅多に顔を合わすこともなかった父親である。今さらそんなことを言ってもしょうがない。

 奈緒は少し微笑むだけに留めておいた。

「お兄さまは?」

 その問いには、ばあやは少し困った顔になった。

「なんでもお友だちのところに泊まるということで、二、三日帰られないと」

「またなの」

 奈緒は呆れたように言って、ため息を押し殺した。

 兄の慎一郎(しんいちろう)は、せっかく入れてもらった大学もろくに通わず、毎日のようにフラフラと遊び歩いている。父が東京に家を建てたのは、商売上の理由とはまた別に、素行不良気味の兄を一つの場所に落ち着かせて、監視下に置くという理由もあるのだろう。

 だが今のところ、その目論見はまったく首尾よくいっていない。

 一体何が不満なのか。顔を合わせればこちらを睨みつけ、「女は呑気でいい」といちいち毒を吐いてくる兄の考えが、奈緒にはさっぱり理解できなかった。

「お茶をお淹れしましょうか」

「ううん、今日中に浴衣を一枚縫い上げないといけないの。急がないと間に合わないわ。夕飯の時間になったら呼んでくれる?」

2024.05.18(土)