「夢を見て楽しめるのは今のうちだけ……か」

 厳しい言葉だが、否定することはできなかった。女学校を卒業してしまえば、そこにはもう夢はなく、ただの「現実」が待っているだけなのだ。

「そういえば、雪乃さんは卒業後はどうするのか決まっているの?」

 ふと思いついて訊ねると、雪乃は淡く微笑んだ。

「結婚するわ。もうお相手も決まっているの」

「そう」

 その答えに驚きはなかった。この女学校に通っているのは、親が軍人だったり実業家だったりと家柄が確かな娘ばかりで、卒業後は雪乃のように「お嫁入りする」というのが多数を占める。

 在学中に縁談がまとまることもよくあって、卒業を待たずに退学して結婚する者も珍しくはなかった。

 雪乃は町内で最も大きな病院の一人娘だ。院長をしている父親は、この土地ではかなり名の知れた名士なのだという。おそらく嫁ぎ先もさぞ立派な名家なのだろうが、学業も茶華道の嗜み事も一通り身につけ、料理や裁縫にかけては奈緒よりもずっと優れた腕を持つ雪乃であれば、どんなところでも喜んで迎え入れるに違いない。

「雪乃さんなら、きっといいお嫁さんになれるわね」

 その言葉に、雪乃は返事をしなかった。一瞬何かを言いかけたが、ふらりと視線を彷徨わせて口を噤む。

 それからまた唇を微笑の形にした。

「そう言う奈緒さんは?」

「わたし……わたしは、まだ何も決まっていないの」

 奈緒の未来は未だ白紙の状態だ。

 ──憂鬱なのは、そのまっさらな紙に絵を描き込むのは決して奈緒自身ではない、ということなのだった。

 東京に新しく建てられた自宅は洋館である。

 父がアメリカ人建築家に設計を頼んだというこの家は、ところどころ和風の趣があるものの、大部分は外国文化を取り入れたモダンな造りになっている。

 日本にはないデザインに感嘆はするが、奈緒は正直、この洋館があまり好きではなかった。天井が高く、どこもかしこも開放的な西洋建築はなんとなく落ち着かないし、通気性があまり良くなくて高温多湿な日本にそぐわないとも思うからだ。

2024.05.18(土)