「東京の女学校でもそんな呼び方は一般的じゃないわ。あの子たちが『おねえさま』なんて呼ぶのは奈緒さんだけよ。今の場合、わたしは単なる付け足しね」
「えっ、そうなの? どうして? わたしが他の人たちより一歳上だから?」
奈緒の父、深山英介は横浜で貿易商を営んでいるのだが、これからさらに商売の幅を広げるため、本格的に東京へ進出することにしたらしい。
その足掛かりとしてこちらに新しく住居を建てた父は、それが完成すると同時に、生活の場を横浜から東京へ移すよう娘に命じた。
しかしその時期が中途半端だったため、奈緒はあちらで通っていた女学校を卒業前にやめる羽目になり、仕方なくこちらの女学校で最終学年を年度初めからやり直すことにしたのである。
だから現在十七歳の奈緒は、雪乃ら他の同級生よりも一つ齢が上だ。
ただ、そういうことは別に珍しくないので、奈緒も特に気にしていなかった。それなのに他の子たちからは「おねえさま」と線を引かれていたわけか。今になって知った事実に、驚きとともに妙な疎外感を覚える。
もしかして皮肉を込めた呼び方なのかしらと考えていたら、雪乃は笑って手を振った。
「違うわよ。年齢というより、奈緒さんの雰囲気が『おねえさま』という感じなの」
「……よく判らないのだけど」
「奈緒さんて、いつも落ち着いた態度で凜としているもの。自分の意見をはっきり言うし、何事もてきぱきして頼りになるし、下級生が困っていると手を貸してあげたりするでしょう? だから憧れている子が多いのよ」
つまり「生意気で出しゃばりで気が強い」ということね、と奈緒は思った。少々自虐的なのは、昔から兄にさんざんそう言われてきたからだ。
「あの子たちを悪く思わないでちょうだいね。いろいろと夢を見て楽しめるのは今のうちだけなんだもの。浮かれているだけで、これっぽっちも悪気はないのよ」
「悪く思ったりしないわ、もちろん」
少々複雑な気分ではあるが、屈託なく笑いさざめく下級生の少女たちの姿を見れば、雪乃が言うように他意はないのだと思える。彼女たちも、親の目がある場ではあのように明るく声を出して笑ったりはしゃいだりできないのだろうから、「浮かれている」というのも間違いではないのだろう。
2024.05.18(土)