『神様のたまご 下北沢センナリ劇場の事件簿』(稲羽 白菟)
『神様のたまご 下北沢センナリ劇場の事件簿』(稲羽 白菟)

「変わり続ける相変わらずの街へ――」という作者冒頭の献辞の通り、様々な変化を柔軟かつ鷹揚に受け入れ続けてきた下北沢の街は二〇二〇年、コロナ禍というかつてない大きな変化に直面した。小劇場、ライブハウス、飲食店……人と人との距離の近さこそが何より魅力だった街を変えたのは病魔のみならず、彼らの在り方を根底から問い直すような公的なガイドライン、そして彼ら自身による恐らく苦渋に満ちた、真剣な自問自答と自主規制であったろう。その変化は当事者たちにとってどれほど大きな試練であり苦難であったか、客席側の我々には到底想像できるレベルのものではなかったに違いない。

 そんな大変化から遡ること七年、これもまた下北沢にとって大きな変化の年。小田急電鉄下北沢駅の地下化、それにともない長年の嫌われ者「開かずの踏切」が姿を消した二〇一三年三月、この温かで魅力あふれる街を舞台に新たなシリーズ・ミステリーの幕が開く。古いアパートを改造した小劇場、センナリ・コマ劇場支配人のウィリアム近松と劇場設立者の孫で大学生の竹本光汰朗(愛称タケミツ)、二人の青年を探偵役と助手役に配した本作『神様のたまご 下北沢センナリ劇場の事件簿』である。

 名探偵の神様、シャーロック・ホームズへのオマージュとその有名作に関する謎を扱う第一幕『神様のたまご』で、近松は安楽椅子探偵(アームチェアディテクティブ)風の推理で新たな探偵役の誕生を宣言する。倒叙ミステリ風に始まる第二幕『死と乙女』、助手役タケミツは初出勤した劇場で早々にピンチに陥る。第三幕『シルヤキミ』では演劇と共に下北沢を代表するカルチャー、バンドの揉めごとに巻き込まれる。第四幕『マクロプロスの旅』は不思議な余韻ある物語である。作中の謎の一つは未解明のまま終わるのだが、物語世界の外側にいる読者はなんとなくその意味を感じ取ることができる。そして第五幕『藤十郎の鯉』は名探偵・金田一耕助の中編『幽霊座』を小劇場演劇の世界に置き換えた青春小説風味、意欲的な横溝正史パスティーシュでもある。

2024.05.14(火)
文=海神惣右介こと稲葉白兎