今のところ殺人事件が起きない、いわゆるコージー・ミステリーの系譜に連なる本作であるが、右に見るように安楽椅子探偵風、倒叙風、軽ミステリ風、作中だけでは完結しないメタ構造(変格ミステリ風)、衆人環視の舞台からの人間消失(本格ミステリ風)と、作者は各話それぞれに用いるミステリーの文法(コード)、読書の味わいを巧みに変化させながら物語を紡いでみせる。それはバラエティあふれる手法とネタで観客を楽しませる小劇場演劇の方法論のようでもあり、また、「ミステリー(謎解き)」は小説の「目的」ではなく様々なドラマを描くために有効な「手段」である――という作者自身のミステリー論の実演のようでもある。

 また、演劇界や下北沢の「誰か」をどこかしら連想させる各話のゲスト・キャラクターたちのネーミングは、単純な言葉遊び、パロディーの域を出ないものではあるものの、彼ら自身も劇的なパロディー精神に富む表現者たちへの良い意味でのクロス・カウンター、作者からの讃意あふれるオマージュでもあるのだろう(無論「実在の人物、団体とは一切関係ありません――」なのは言うまでもないことだが)。

 近松とタケミツをはじめとする下北沢センナリ劇場、イーストエンドの人々、そして演劇界の様々なゲスト・キャラクターたちが縦横無尽に活躍する『下北沢センナリ劇場の事件簿』の息の長いシリーズ化、舞台化、ドラマ化など、本作の今後の展開と発展を筆者は大いに期待したい。その実現のためには作者自身の不断の努力が何より重要なのは言うまでもないが、読者の評価と熱い支持もまた、なくてはならぬ重要なファクターである。まさに第二幕『死と乙女』で毬谷まりやが言うように“何かつぶやく時は『#下北沢センナリ劇場の事件簿』ってタグをつけて宣伝を手伝ってね。私たちの未来のために”――である。

 応援のほど、何卒よろしくお願いいたします。

 さて、作者・稲羽白菟はいわゆる就職氷河期に文学部、とりわけつぶし(・・・)のきかないフランス文学専修を卒業した後、旅行添乗員や骨董商、呉服店などでアルバイトをしながら吉祥寺の古いアパートの一室に住まいして読書三昧、観劇三昧、気楽な極楽とんぼの日々を過ごしていたという。その部屋は直木賞作家・評論家の田中小実昌氏が昔住んでいた部屋だった。ぶらりと父上の旧居見物に来て以来、たまたま同じ文学部の後輩だった作者のことをなにかと気に掛けてくれた氏のご息女、小説家の故・田中りえさんとご一緒したのが作者の下北沢の小劇場観劇デビューだったという。その時の公演は戌井昭人氏の劇団『鉄割アルバトロスケット』。馬鹿舞伎。この小説の舞台にどこかよく似た劇場での観劇だったという。

2024.05.14(火)
文=海神惣右介こと稲葉白兎