50歳で単身カナダに留学した光浦靖子さん。カナダで働くためのワークパーミット(労働許可証)を得るために通ったカレッジでの日々を描いた、カナダ留学エッセイ『ようやくカレッジに行きまして』(文藝春秋)が発売されました。
カレッジの中で光浦さんが選んだのは「料理」のコース。英語もままならない中での授業や本格的な料理の実習はそれはそれは過酷なもので、想像を超えた人間トラブルや肉体的疲労、事件も続々と勃発します。そんなインターナショナルな学校での学び、そして、ご自身の変化について伺いました。
カナダで、自分の将来に役立つ技術を身体に叩き込みたかった
――カレッジに通う日々を綴った『ようやくカレッジに行きまして』が発売されました。読ませていただくと、かなり過酷な学校生活だったようですね。
これでもソフトに書いたんですよ。すごく気を使いながら。『ようやくカナダに行きまして』に書いた語学学校とは全然雰囲気が違って、まるで軍隊みたいなところでした。自分でもよくやったなと思います。
だけど、私はカレッジの方が思い出深いし、すごく辛かったけど面白かったんです。まあ、青春マジックで、過去の辛いことも時が経つと忘れた、というだけかもしれませんが。
でも、また戻れと言われたら絶対に嫌ですね(笑)。
――語学学校を卒業し、その後、料理の学校に行こうと思われたのはなぜだったのですか?
将来の自分に役に立つ技術を身につけようと思ったんです。座学で環境やサイエンスみたいなことを習ったとて、51歳の私がそこから2年勉強しても、それを未来に活かすのはなかなか難しいですよね。
いつかカフェを開きたいという夢もあったし、であれば、技術を身体に叩き込む方が自分の身になるのかなあと。それと一番の理由は、カナダで手芸のワークショップや芸能活動にもチャレンジしたかったので、ワークパーミットをとるためでした。ここで2年間頑張れば、カナダで3年間働く権利がもらえるんです。
――次々に現れる厳しいシェフ、厳しい課題、それをクリアするためにクラスメイトと協力し合って立ち向かっていく姿……まるでシェフを攻略しないと次にいけないRPGのようでもありましたね。
とにかくスパルタで、肉体的にもヘトヘト。この2年は、プライベートのことはほとんど何もできなかったくらい大変疲れました。
――朝も早かった。
学校は7時からだから朝5時起きで、真っ暗なうちに家を出るんです。真夜中ですよ、真夜中!
――しかも留学2年目で、まだ英語もままならない中で、本格的な料理の実習は大変だったのではないですか?
全然喋れないし、シェフの言うことも全然聞き取れない。でも、インターナショナルクラスの生徒たちは私以外もあんまり英語ができる人はいなかったので、英語がわからない者同士、「なんつった? なんつった?」って聞き直すもんだから、ブチギレるシェフがいっぱいいました(笑)。
シェフが厳しい人だったり、意地が悪かったりすると、そのシェフに習う1カ月間が本当に嫌で嫌で。それは私だけじゃなくて、クラスメイトも同じく辛いから、みんなで助け合うしかないんです。
――そういう大変な授業の中でも、光浦さんは面白さを見つけていきますよね。
私は怒ったり泣いたりするのがちょっと人より派手ですけど、やっぱりね、「これ、おもしれえな!」みたいな、お笑いの世界にいた分、その場で起きたことを面白がれるというか、面白いことを見つけるのがやっぱり得意なんですかね。自画自賛だけど、私と一緒におると、同じ出来事でもみんな盛り上がるみたいなんですよ。
私、学生の時は、目立たない学級委員キャラだったのに、ここではクラスの面白い人になっていて、意外と人気者でした。
私の2年ぐらい後にカレッジで同じコースを取った日本人の女性がいるのですが、その人が、「シェフたちが『ヤスコは元気か? 今どうしてる?』って言ってましたよ」って言うんです。「シェフたちはみんな、ヤスコのことを覚えているんですよ」って。それを聞いてとてもうれしかったです。










