飛鳥・奈良時代から続く「御食つ国」、淡路島

 地理的、気候的な好条件に加えて、高い技術をもつ淡路島では、有名な玉ねぎをはじめ、白菜、レタス、米などを組み合わせた三毛作も行われています。さらに「淡路ビーフ」に「淡路島牛乳」、「淡路島えびす鯛」に沼島(ぬしま)のハモなど、おいしいものが、たくさん!

 訪れた12月中旬は、玉ねぎの収穫後。名物の「玉ねぎ小屋」には玉ねぎがびっしりと吊るしてあり、あたりには特有の甘い香りが漂っていました。道路脇にはネットに入った玉ねぎを並べる露店も。淡路島産の玉ねぎは甘くてやわらか、そしてみずみずしいのが特徴です。

 京阪神エリアの食材の供給源である淡路島。飛鳥・奈良時代には皇室や朝廷に食材を献上する“御食つ国(みけつくに)”であったことからもわかるように、昔からこの地は食の宝庫でした。

 また、淡路島は古事記の冒頭に描かれる「国生み神話」にも登場しています。イザナギノミコトとイザナミノミコトの二柱の神様が混沌の大地を矛でかき回し、矛からこぼれた雫が固まり、“おのころ島”が誕生します。おのころ島で夫婦になったイザナギとイザナミは最初に蛭子神(ひるこ/えびす)と淡島を、続いて淡路島を、そして次々と国を生みました。

 それから長い年月が経ったある日、蛭子神が漁師の百太夫の前に現れ、宮殿を建てるよう頼みます。百太夫はさっそく西宮大明神を建て、道薫坊(どうくんぼう)が蛭子神に仕えることに。けれど道薫坊が亡くなると、天候は荒れ、人々に災難が降りかかるように。そこで、百太夫が道薫坊そっくりの操り人形を作り、蛭子神に人形の舞いを見せたところ、ふたたび平穏が戻ってきました。この国生み神話ゆかりの「戒舞(えびすまい)」が、淡路人形浄瑠璃のはじまりとされています。

2024.01.27(土)
文・撮影=古関千恵子