音楽の作り方の違い
すべて、現在から振り返っての証言だ。ただ伝わってくるのは、オフコースが認知され大きくなっていくなかで、生真面目で不器用な性格ゆえか、袋小路に入り込み、壁にぶつかったような印象も受ける。鈴木自身が70を過ぎて、「もっと鈍感だったら良かったのになという思いもあります」と語っている。
さらに清水は、音楽の作り方において、小田と鈴木の違いも大きかったのかもしれないと語る。
 
「小田さんの場合は、自分のなかに自分の骨格があったとしても、プリプロといいますが、コード進行しか書いてなくて、どんなメロディなの? と大間が訊くと、小田さんは『いいんだよ、そんなのは』と言って一切聞かせないで、何にもないところからやり始めるんですよ。みんなと演奏しながら、ここは2小節増やそう、ここはカットしようとか、テンポを早めようとか、そうやって気がつくと、みんなで作っているんですよね。
それに対して、ヤスさんは8割くらい自分で作ってくるんです。そうじゃない曲もありますけど、ほぼ作ってくる。だから、それに対して、俺らがなんか言うと、やはり当人は気分悪いですよね。変えられない。だから、その楽曲が膨らまないんです。結果、楽曲のパワーが全然違ってくる。みんなでやりながらまとめていった曲とみんながいじれない曲。そういうなかで、ヤスさんの居場所がどんどんなくなっていくということもあったのではないかと、あとからは思いました」
もっと日常的なことでいえば、既婚者の鈴木と残りの4人で、いつしか仕事が終わったあとの行動にも違いが出てきていた。昼の休憩時にも、みんなでお茶に行こうと誘っても、鈴木は「俺はギターの練習をしてるよ」と1人残ることも多かった。
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- 著者=追分日出子
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